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緑色さんの多目的ブログ みろりえいちぴー(旧) 引っ越し先 みろりHP: https://www.mrrhp.com ★ 2018.11.03 Saturday
| カテゴリ:感想文 |
ジョージ・オーウェル『一九八四年』
● 親愛なるルームメイトに貸してもらって読んだ。 サマリと感想を書く。 ● 党首ビッグブラザーが統治する国オセアニアが舞台。物理的にも精神的にも完全に監視された社会で、国中に監視画面のテレスクリーンと盗聴器が据えられ、不満や疑問を表情に出しただけでそれは犯罪行為となり思考警察に逮捕される。ニュースピークという新しい言語を公用語としている。それは思考の範囲を狭め、過去の言葉をオールドスピークとして破壊する。 そして党にとって不都合な過去は徹底的に改竄している。もうすぐ四十路のウィンストンはその仕事に携わっている。しかし実際はこの監視社会にうんざりしており、いつかブラザー同盟のような国家転覆をもくろむ地下組織がクーデターで党を討つことを望んでいる。 あるとき同じく党に勤める女性ジュリアがウィンストンに告白してくる。彼女は一見すると党とビッグブラザーの熱烈な支持者だが、実際は党が堕落とするものを愛している。ウィンストンが同じ種類の人間であることを目の光で理解したのだ。すげえ。 ふたりは古道具屋の2階にこさえたテレスクリーンのない隠れ家で逢瀬をかさねる。いつしか労働者階級プロールに身をやつして、整形して一生ともに過ごすことを夢見ていたが、ふたりはそれが不可能であることがわかっていた。党の監視は行き届いているので、必ずいつか捕まるのだ。 だが吉報がやってくる。党の有力者オブライエンが、ブラザー同盟であることを明かし、ふたりを勧誘してきたのだ。ふたりは党の弱体化につながることなら何でも行うと宣言し勧誘にのる。 だがじきに隠れ家が思考警察に取り囲まれる。そこで隠れ家を提供してくれた古道具屋チャリントンも実は思考警察で、隠れ家にもしっかりとテレスクリーンが隠されていたことを知る。というかオブライエンもホントはブラザー同盟なんかじゃなくて、7年も前からウィンストンに目をつけて見張っていたのだ。 とっ捕まった彼らは監獄に入れられ、拷問を受ける。打擲され、殴られるのが果てしなく続く。12時間続く尋問と屈辱感を与える仕打ちで神経が参り、完膚なきまでにウィンストンを叩き潰す。ジュリアのことを含め彼は何もかも白状しつくす。 だけれどウィンストンはジュリアへの愛を失っておらず、心の中で彼女を裏切ることはなかった。そして心だけは党が支配することができない唯一のものなのだ。 そんなウィンストンをオブライエンは治療しようとする。党が言うことならば4本出された指を5本だと思うように、拷問によってしむける。ウィンストンは「見たものを認識することは意識的作用ではないのだからコントロールなど不可能」と主張する。だがオブライエンは「現実は人間の精神のなかにある。個人ではなく個人の代表である党の精神の中にある」と主張、ゆえに党の言うことはすべて正になると言うのだ。知性にまさるオブライエンをウィンストンはどうしても論破することはできない。それでも彼は自分のほうが道徳的に優越していると確信していた。 しかしウィンストンがこの世でもっとも恐怖しているネズミを使った拷問を受けるとき、ウィンストンはついに「自分でなくジュリアにしてくれ!」と言ってしまう。そのとき彼は自分が確かに、心の底からジュリアを差し出し裏切ったことを自覚してしまう。 すべてをへし折られたウィンストンは釈放され、党の閑職についていた。どうせ嘘っぱちである自軍勝利の放映を聞いたとき、彼は心から歓声をあげ、ビッグブラザーを愛していた。そのときになり、彼はとうとう銃殺されるのだった。 ●
2018.09.21 Friday
| カテゴリ:感想文 |
村上春樹『騎士団長殺し』
● 野宿旅中に読了した本その2。読んでいるときに書いたサマリメモとかがざっくばらんすぎて解読が面倒で、まごまごしているうちに日が過ぎてしまっていた。それに長いんだよなこの話は。とはいえサマリと感想を書く。 ● 主人公の「私」は腕のいい肖像画家だ。でも肖像画に別に興味はなくて、熱意もない。そんな彼、奥さんに突然別れを告げられる。もうほかに付き合っている人はいるそうだ。「私」は混乱しプジョーに乗り込みそのまま放浪の旅に出てしまう。仕事もやめる。 一ヶ月半放浪した後、友達の雨田くん所有の一軒家を貸してもらう。この家は雨田くんのパパが住んでたとこだ。この家の屋根裏で「私」は『騎士団長殺し』を見つける。騎士団長が刺殺されている荒々しい日本画で、観るものの心を深いところで震わせる絵だった。雨田パパは日本画の大家で、この絵は明らかに彼の作品。けれどなぜこんなところに隠されていたのか、なぜ騎士団長殺しという名なのか? なんかはじっこに、マンホールのような穴から顔を出している男がいるんだが何者なのか? すべては謎だった。 そんな折、近所に住む免色さんから肖像画の依頼が入る。彼はリッチで、ジャガーに乗っていて、洗練されたふるまいの白髪の紳士だ。「私」としては今陥っている停滞から抜け出したかったし、そのための刺激が必要だと思っていたところなので依頼を受けることにする。 ある夜、家のそばの祠の裏の石の下から鈴の音が聞こえてくる。免色さんにもそれは聞こえて、幻聴ではないと判明。石を撤去してみると、そこは無人で鈴だけがあった。鈴は回収したが、今度はそれがまた鳴り出し絵の騎士団長と同じ姿をした小さなイデアが登場してしまった。なんてファンタジー。 免色さんの絵は、雨に濡れた雑木林の緑色、退廃のオレンジ、免色さんの白髪の白で完成した。肖像画の体裁はなしていなかったが免色さんは心から感心し、記念の夕食会を催した。夕食会で免色さんはすげえことを打ち明ける。近所に住む中学生が実は自分の娘である可能性があり、いつも彼女を覗いているというのだ。そして彼女の肖像画の依頼を「私」に依頼する。騎士団長のイデアの助言で、「私」はその返事を保留する。 「私」は放浪中に見かけた、スバル・フォレスターに乗った男のことを思い出し、彼の絵を描いてみようと思い立つ。順調に見えた作業だが、ある地点をもって絵が「これ以上何も触るな」「私を絵にするんじゃない」と訴えかけてきている気がし、そこで筆を置く。 「私」は免色さんの次の依頼を受けることにする。完成した肖像画をどうするかの判断だけは保留したままにして……。その中学生はまりえといった。彼女がモデルのため家にきてスバル・フォレスターの男の未完成の絵をみると「もうこのままでいい」と言う。『騎士団長殺し』をみると「何かを訴えかけている。鳥が檻から出たがってるみたい」と言う。 雨田くんに雨田パパの詳しい情報を聞いてみると、なかなか壮絶な過去が明らかになった。雨田パパはウィーンで絵の勉強をしていたが、ナチに恋人を殺され、自身も二ヶ月拷問された。弟は手違いで戦争に送られ、上官に腹を蹴飛ばされ、捕虜の首を切らされ、帰国後に自殺した。続けざまに大事な人を失ったことで雨田パパは無力感と絶望感を感じ、実際にできなかったことを『騎士団長殺し』に描いたのだろうと「私」は推測する。 あと雨田くんから元奥さんが妊娠していることを告げられる。きみには言いづらいことだが、と気遣ってくれるナイスガイ雨田だけど、「私」にはひとつ思うところがあった。彼女が妊娠したであろう時期に、リアルな夢をみたのだ。そのとき彼は彼女に射精した。だからその妊娠は自分の子なのではないだろうか。(村上春樹をたくさん読んでなければ「お前どうした?」となるところ。) まりえの肖像画も順調なある日、まりえが行方不明になる。捜索に追われるさなか、雨田くんがパパのお見舞いに一緒にくるかと誘ってくる。いやそんな場合では、という感じだが、騎士団長のイデアの助言で行くことにする。病室でイデアは自分を『騎士団長殺し』の絵のように刺し殺せと言い出す。「開かれた環はどこかでとじられなくてはならない」と言うのだ。言うようにすると絵と同じようにマンホールのような穴から男が顔を出した。 その穴、メタファー通路には川が流れており、「私」はその水を飲む。顔のない男がそこで渡し守をしており、川を渡る。がんばって通路を抜けると、そこは祠の裏の石の下の穴だった。病室へ行った日から3日がたっており、しかも病室からここまでワープしたことになる。だが行方不明だったまりえは帰ってきた。 まりえはこの3日間、免色さんの家に忍び込んでいたのだという。まりえも免色さんのことを胡散臭いと思っており、素性を調べてやろうとしていたのだ。忍び込めたはいいものの家のセキュリティや雀蜂に阻まれて出られなくなってしまった。だがどうにか貯蔵庫のミネラルウォーターとクラッカー、チョコレートで生き延びることができたのだ。 ふたりは協力して絵を家の屋根裏に隠した。『騎士団長殺し』とスバル・フォレスターの男の絵だ。まりえの肖像画は免色さんに渡さず、まりえに贈呈することになった。免色は承諾し、それ以後「私」にあまり接触してこなくなった。「私」は別れ以降まったく話さなかった元奥さんときちんと話をする決意をする。 元奥さんはなぜだか子供の親権を不倫相手に渡す気になれず、すでに別れていた。そしてできるなら「私」とやりなおしたいとのこと。子供をむろと名付け、ふたりはもとに戻ることになった。 ● 免色さんがカッコイイ。主人公は事実を受け入れ、向かい合い乗り越えていくが、免色さんは曖昧な可能性のバランスの上に自分の人生を成り立たせている。どこへも行けず、ただ自分の宮殿だけを……物理的な意味でも、精神的な意味でも……静謐に保つだけだ。そういうのは好みだ。まりえが屋敷に忍び込んだとき、そのあまりの整頓され清潔にキープされたさまを見て彼女は「免色さんという人には間違いなく何かしらおかしなところがある」「この人と生活をともにすることはとてもできそうにない」とボロクソに言うけれど、ぼくは最高だと思った。あまりに素敵な描写なのでページをちぎりとって持ち帰りたかった(図書館だからそれはできなかった)。免色さんの描写を観るためだけに、文庫版が出たら買ってしまうかもしらない。 この主人公は長い停滞のなかにいる。わかりやすいのは奥さんと向かい合うことをずっと保留していることだ。別れを切り出されてからソッコー車に乗り込んで東北へすっ飛んでいくのは天晴な逃避っぷりだよな。野宿旅ちゅうにこれを読んだ緑さんがシンパを感じたのは当然だ。そして小田原の一軒家でいろいろな経験をして、最後には向かい合うことにしてハッピーエンドとなるわけだけど……きっかけになったのはたくさんの経験というより、時間って気がする。どこかで主人公が「時間を味方につけなければならない」と語っていた。このお話っていろいろわちゃわちゃしているけれど、主人公がつねにのんびりしていて、あせっていないのを感じる。もちろん、能力や金銭に差し迫った不自由をしていないからなんだけれど。 けれどともかくゆっくりと過ごして、すこし刺激が必要と思ったら仕事をはじめて、人と付き合って、時がきたという段になって動き出す。そういうのが「時間を味方につける」ってことだと思う。眼の前にあることにだけ、しっかり向かい合えばいい。メタファー通路を越えたあとに主人公が風呂に入り石鹸で身体を洗って着替え、礼儀正しく現実の世界に向き合うことを決意するシーンがある。そう、その時がきたらその時に適したことをすればいいのだ。それと同じように、いつかスバル・フォレスターの男の絵を主人公は完成させるつもりでいる。でもあせらない。身の回りのすべてのことの完結を急ぐ必要はなくて、自分に用意ができ、世界が自分を受け入れてくれるときに踏み出せばいい。 今回の村上春樹はすごく丁寧に情報が描かれていて、ぼくでも考察すれば何がどうメタファーに絡んでいるのかわかりそうなものだった。だけれどぼくがこの本から受け取ったものを素直に述べるとすれば、そんなところだなー。 ところで最近普通免許を手にしてからクルマにちょっと興味が出ている。その影響か、免許取得前には毛ほども気にしなかったであろう、今作品に出てくるクルマたちのことをよく覚えている(というよりきっちりメモがしてある)。主人公のプジョーとカローラワゴン、免色さんのジャガー。ボルボとかプリウスとか。興味が移ろうと多くのものが見えてくるよな。年を経て同じ本を読むと感想が変わるのとおなじ理屈。 ううーむ。これは長くなっちまったなあ。 2018.09.11 Tuesday
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マーク・ボイル『ぼくはお金を使わずに生きることにした』
● 野宿旅をしているとき、昼間の日差しが強いときは図書館にいる。日中は図書館で本を読んだりものを書いたりして、日が落ちると野に戻って眠る。これが野宿旅の基本的なルーチンだ。でも移動を繰り返しているんで、ひとつの本を読み切れることはそう多くない。 この本は読み切ったもののひとつ。サマリと感想を書く。 ● 筆者は一年とちょい、お金をまったく使わない生活を実践した。その記録を綴った本だ。カネなし生活のために何ヶ月もかけて準備をした。お金の必要ないトレーラーハウスを用意し、自家発電の仕組みを自作し、暖房を作成した。もちろんこの準備にもできるかぎりお金をかけないよう力を尽くした。使うコンピュータのOSも、オープンソースの Linux を使うのだから念が入っている。 筆者はお金に支配された文化を抜け出すことを志している。お金は生産者と消費者との間に断絶を作った。その断絶が破壊的な消費を生んでいる。筆者はそんな世界のありかたに疑問をもっているのだ。そんな疑問の中で生きていくことはできない。だから実践してしまおうというわけだ。頭と心と手の間に矛盾が少ないほど、正直な生き方に近づく。この考え方を筆者は応用精神主義と呼んでいた。これは大いに賛成だね。矛盾が多い状態が、俗にいう「自分に嘘をついて生きる」ってやつだろう。 カネなし生活の生き方は、おもに農耕、採集、交換、フリーガンだ。そして物資とエネルギーの自作。そんな生活にはもちろん、大工、栽培、パーマカルチャー的設計、医療、サバイバル等のスキルが必要だ。ただしそれは二次的スキルに過ぎない。自然環境と調和したカネなし生活のための一時的スキルとは、肉体的健康、自制心、生けるものへの配慮と礼節、他者に与え、分かち合う力だ。現に多くのスキルや助けを、筆者は他者から分け与えられている。 「カネなし」を実践している人は多くおり、しかしその程度や環境はまちまちだ。しかしかれらに共通するのは、分かち合いという行為を通し、同じ地域の人々に友情が芽生え、思いやりと寛容の心が金銭欲に勝つことである。 自己規律がもちろん必要とされる。自己規律のすばらしい点は、人生の一場面で発揮できていれば他の局面にも簡単に応用できるところだ。 お気に入りの時間は豪雨のときだという。雨音がシェルターを叩く音と、薪の音。自然との距離が近くなるほどありがたみを感じる。野で自然が与える食べ物を摘み、星の下で寝ていると生きている感じがみなぎるそうだ。 筆者はもともと気の強いところや、自分の考えを他者に強く押し付けるところがあったそうだ。だけれど分かち合いの生活を通して、みんなに理解してもらうには、自ら実践し、情報を提供するだけでよいと気がついた。正しさを主張する必要はないのだ。 ● 思考と試行に矛盾がない。実践力も行動力もある。この筆者は好みだ。読んでいて楽しめた。きっと文章と、訳も好みにあったのだろう。 自己規律についての思想もよくうなずける。ぼくの言葉では「やりとげる側の人間」と呼んでいる。何かひとつやりとげる人間は、何をやってもやりとげる。自己規律という言葉を使うとよりわかりやすくなってよいな。 筆者は「お金を使わず生きるすべを身につけるには、すでに形成された精神構造を変えないといけない」「いきなりカネなしに移行するのは困難だろうから、生活の一部ずつから始めていけばいい」というようなことを言っている。そのとおりだろう。 ただ、ここでぼくの意見を交えさせてもらえば、ぼくは完全な「カネなし」には反対だ。お金のシステムはどう考えても理にかなっており、お金のシステムなしには成り立たない素敵なものがいくつかある。もちろんこれは好みの話なんだけれど、ぼくはその中に好きなものがある。お金は捨てない。 彼が憎むべきはお金ではない。お金の生み出した断絶にころっと惑わされるエア・ヘッドどもだ。彼が棄却したいのはお金ではなく破壊的な生産活動である。まあ……きっと彼もそれはわかっていて、だがしかし彼らを批判し「正しさを主張する」のは世界を変えるためには愚策だ。よってお金に矛先をずらしているんだろうと推測する。ぼくは手前勝手に主張を述べているだけだけれど、自分以外を変えたい人は大変だ。 彼はもともとカネなし実験は一年間と決めていた。しかしその生活の並外れた充足感を知ってしまったので、一年間が終わるときには思い悩んだようだ。気持ちはよくわかる。自然のなかで自分のシェルターをこしらえ生活することの充実感は計り知れない。ホームレス旅と野宿旅の経験からそれはよくわかる。彼は自己で完結するカネなし生活者ではない。その文化、素晴らしさを人々に伝え、皆で実践していきたいと願っている。そのため彼は、カネなし生活で蓄えた経験とともにカネのある生活へ戻り、ネットやイベントを通じて目標への活動を続けているそうだ。 てかぼくもトレーラーハウスに住みたい……。 2018.04.23 Monday
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サン=テグジュペリ『星の王子さま』
● サマリと感想を書く。 ● 無名の飛行士「僕」はエンジントラブルでサハラ砂漠に不時着する。そのときどこかの星の王子さまと出会う。 王子さまは超小さな惑星で暮らしていた。そこにはバラが咲いていて、王子さまは甲斐甲斐しく面倒をみていた。なのだが、バラはちょっとナルシ入ってるし見栄っ張りだった。王子さまはうんざりして星を出ることにした。いろいろ星々をまわり、王子さまはいろんな大人に出会う。誰もいない星を治める自称王様、礼儀を尽くして称賛されることがアイデンティティの男、指示通りガス灯をつけたり消したりし続ける男……。王子さまは「大人ってよくわからんことにこだわるなあ」と首を傾げながら星を渡り歩く。そして地球にやってきた。 星に残してきたバラのことがそろそろ気になってきた王子さま。だが地球にきて見つけたのは、よりによってバラの庭園だ。ええええ!? ぼくはこの世に一輪だけの、財宝のような花をもっているつもりでいたのに、実際はただのありふれたバラだったのか……。と大ショックな王子さまは泣いてしまう。 リンゴの木の下で出会ったキツネは、王子さまに「絆を結ぶ」ということを教えてくれる。絆を結ぶまでは、キツネにとって王子さまはほかの男の子たちと何も変わらない。いてもいなくてもいい存在だ。王子さまにとっても同じ。でも絆を結んだら、お互いになくてはならない存在になる。16時にそいつがやってくるなら、15時から楽しくなってくる。そうして生活に日が差したようになるんだと教えてくれる。 「いちばんたいせつなことは目に見えない」とキツネは教えてくれる。「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみがバラのために費やした時間だったんだ」と教えてくれる。 王子さまと砂漠を歩くうちに「僕」は、子供のころ住んでいた家がとても好きだったことを思い出す。それは、その古い家のなかに宝物が埋められているという言い伝えがあったからだ。ガセかもしれない。でもそのことが家に不思議な魔法をかけていた。「家や星や砂漠を美しくしているものは、目には見えない」と「僕」も理解する。 ● お恥ずかしながら俺は『星の王子さま』をちとバカにしていた。「たいせつなことは目には見えない」? ハァ? 文脈次第でどうとでもとれること言ってはしゃいでんじゃねーよ。 スンマセンでした。読んでみたらスゲーイイ話だったよ。よくできた話だった。これも『デミアン』や『嘔吐』と同じで、作者が自分の思想を、もっとも効果的に伝わるかたちに構築した文学的装置の一種だと思う。つーか『デミアン』の亜系って感じか。あの話もこの話と同じで、「成長しきった自分」「成長する前の自分」のメタファーを用意して展開させている。『デミアン』ではそれぞれデミアンとシンクレール。『星の王子さま』ではもちろん、王子さまと「僕」だ。そして後者を前者へと移行させる今回の要素は、「心で見えるものがもっとも大事なものであると気付くこと」だ。 「心で見えるもの」とは具体的には、何かと絆を結ぶことで生まれる副作用のうちポジティブなものを指している。王子さまと絆を結ぶことで生まれる、「友達が来る前の1時間は超ワクワクする」とか「王子さまの髪の毛に似た小麦の稲穂が好きになる」とか「王子さまが星々のうちどれかにいて、そこで笑っていると思うと星空がみんな笑っているように見えるようになってハッピー」とか、そういうことだ。 ソレがいちばん大事かどうかは当然、人によると思う。だけどこの話は、それがいちばん大事だと主張するのが目的じゃない。目に見えない故ふだんは気づきづらい、日常の中の幸福に焦点をしぼり、読者に気づかせることこそ目的だ。それをこの話の構成は巧みに行っていると思う。だからすげえ感心した。 ● 俺がこういう思想を他人に伝える上でもっとも大変だと思うことは、人によって思想を理解できるコンテクストや語彙が異なることだ。同じことを伝える具体例なのに、なぜか片方は通じて片方はピンとこない、ということはよくある。それは人それぞれアタマの中にある辞書や言語が異なるためだ。だからひとつの思想を伝えるためには、複数の具体例をもちいるのが効果的だ。それをこの作品はよく理解している。「何かと絆を結ぶと目には見えない様々なメリットがある」という思想を伝えるために、複数種類の具体例を時間差で繰り出している。
俺は、他人とわかり合おうとすることはムダだと思っている。それは、相手とは使う言葉が違うからだ。俺も相手も用いるAという言葉が、彼我で意味が異なる。使用する言葉をひとつずつ吟味し、互いの理解を共通化していけば理論的には完璧な理解が可能だ。だがその作業をする際の議論でも次々と意味のズレが巻き起こる。だから不可能だ。俺は他人と分かり合う、対話を重ねるという行為に否定的だ。ムダだからだ。 言葉を重ねるごとに誤解が重なる。ゆえに仕方なく何かを伝えたい場合、言葉は少ないほうがよいことになる。10より5。5より1。結局沈黙が最適解となる。 こんだけずらずら書いておいて何言ってんだって話だよな。そのとおりだね! けど、喋り好きだからこそたどり着く思想がある。 2018.04.19 Thursday
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シェイクスピア『ハムレット』
● 先日読んだ、宮沢章夫『不在』が『ハムレット』のパロディだったじゃん? 乗りかかった船で読んだ。サマリと感想を書く。 ● 1幕
● いや、戯曲に対する思いを改めさせてもらう。読みづらいという印象をなぜもっていたのか、今では思い出せないくらいだ。戯曲読みやすいや。登場人物同士の会話劇がずっと描かれるだけなので、読んでる感覚としてはラノベに近い。劇の台本だと思って読むことで余計読みやすくなった。 お話自体の感想だけれど。別に共感できるキャラクターがいたわけでもないし、とくに思うことはなかった。強いて言うなら、ハムレット結構鬼だよな。ギルデンスターンとローゼンクランツ、はとばっちりじゃないか。確かに俗物ではあったけども。ちと話はそれるけれど、『ハムレット』でこのふたりのことを知ったおかげで、『不在』の須田くんと倉津くんのことが知れた。作中で事故に遭い死んじゃうふたりだけど、あれって秋人くんの仕業だったんだなあ。 ハムレットが突然キチガイの演技を始めたのが意味不明だった。おそらく、行動の真意を悟られないためだろう。 オフィーリアの死が自殺だと明言されていなかったのは意外。でも「悲劇のヒロイン」としては、自分の意志の介在する自殺より、気が狂って木から落ちて水死のほうが相応しいかもしれない。 ガートルードには先王の霊が見えなかったことについて。俺の答えとしては、先王陣にとってガートルードはすでに敵だということだ。お話のなかでガートルードはわりとハムレットに優しくて、ついつい哀れを誘ってしまう。けれど実際、夫の死から一ヶ月でその弟と結婚した奴なんだよな。まあ俺の感覚としては気を取り直すのが早いのはポイント高いんだけど。先王の幽霊は、先王に忠実な者にしか見えないんだろうきっと。 2018.04.05 Thursday
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永嶋恵美『なぜ猫は旅をするのか?』
● 親愛なるルームメイトは生粋の猫派だ。俺は犬派だけど、親愛なる奴が好きなものを憎かろうはずもない。タイトルに猫って入ってたからなんとなく読んだ。サマリと感想を書く。 ● 医者の鳥羽くんはクルマに轢かれて前後の記憶が吹っ飛んだ。だがそのかわりに何となく性格が柔らかくなり、カワイイ彼女も手に入った。ただ疑問なのが、鳥羽くんが轢かれる寸前に「ちょっと待って」と誰かに呼びかけていたこと。一体誰だったんだ? そんなささいなモヤモヤはあるものの、穏やかになった鳥羽くんは街で起こる平和なミステリーを解決していく。 ● ルームメイトブチギレ案件だぞこれは。あいつはタイトルやアオリに猫がついてるクセに、猫が全然関係ない本には厳しいんだよ。「なぜ猫は旅をするのか」というタイトルも本編にまったく関係ないし。あいつじゃなくても言うぞ、「猫好きを釣りたいだけじゃねえか!」 内容としては日常系ミステリ。米澤穂信の本を思い出すな。ルームメイトは米澤穂信のお話が好きなのだけれど……猫の件でヘイトを買う確率が高いので紹介はナシだ。 2018.03.29 Thursday
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宮沢章夫『不在』
● この話さ、俺が以前すこしだけ住んでた町が舞台になっているんだよ。何それ面白そう。読んでみるしかないぜ。というわけで読んだ。 すると、話の流れがワケわからなかった。調べてみたら、この話はシェークスピア『ハムレット』のパロディみたいなもんらしい。ようは見巧者を要求する話だったわけだ。そんならと『ハムレット』のあらすじを見て、それから読み返してみた。そのへんを絡めて、サマリと感想を書く。 ● 『不在』はこんな話だ。
『ハムレット』はこんな感じ。
『不在』作中では明らかに語られなかったことも、『ハムレット』を知っていると補完される思いだ。たとえば、ホントに殺人事件は秋人が起こしたものだったのかな? みたいな考えも『ハムレット』知ってたら「そりゃ秋人だろう」ってなる。夏郎治がコソコソ秋人捜索を始めるのも、秋人を始末するための策謀だったんだろうな、と腹落ちする。そして最後にはみんな死ぬんだろうな、と。 逆に以下のような部分は『ハムレット』に存在しない要素で、いったい何だったんだろってなる。
● ほんで作品の舞台についてなんだけれど、いや実に楽しめたよ。つーか著者さん、住んでたことあるんじゃね? 町についてリアルな記述が多かった。たとえば町の図書館についての記述ね。「北川辺中学の建物の一部を利用している北川辺ライブラリーは規模も小さく、蔵書の数もそんなに多くはない。」そうそうそうなんだよよく知ってんね!? あと贄田たちが埼玉大橋の幽霊を見に行く前にコンビニの駐車場で待ち合わせするシーン。「怖いほど広く閑散としたローソンの駐車場……」わかるわかる!! しかもあそこって、別に待ち合わせスポットってわけじゃなくて、あのへんで遊ぶ時待ち合わせるとしたら「まあ、あそこになるよね」って感じの場所なんだよ! いろいろ楽しめる読書だった。 2018.01.10 Wednesday
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入間人間『僕の小規模な自殺』
● リヴィングの共用本棚に入っていたので読んだ。サマリと感想を書く。 ● 大学生の岬くんのもとへ、喋る鶏が現れる。「僕は未来人なんだけど、きみの友達の熊谷さんているじゃん? あの子3年後に病死するから、今のうちからなんとか食生活改善して運動して体力つけさせなさい」と言われる。「マジかよ俺あの子好きなんだけど」というわけで岬くんは彼女に食事を作ってやり、運動させて、空手道場に通わせてやる。彼女は道場の先輩が好きになり、熱心に運動し、だいぶ体力をつけた。そこで岬くんはふと思う。彼女が元気になるのはいいけど俺に得ないなあと。 そんなある日、岬くんは喋る蛇に出会う。「私も未来人なんですけど、きみが助けようとしてる熊谷さんね。あの子3年後に新型ウィルスに罹って死ぬが、そのおかげでワクチン作れて人類助かるのよ。だから助けるのヤメときなさい」と言われる。だが岬くんは「でも俺あの子好きだから助けるわ。人類より彼女が大事」というわけで交渉は決裂。蛇は怒って彼女を咬む。岬くんはやべえ病院へ、とふためくが、鶏が優しく声をかける。「大丈夫このタイミングなら死なないよ」。どゆこと?? 話を聞いてみると、こうだ。 蛇の目的は確かに蛇の語ったとおり、彼女をウィルスに感染させて死なせ、人類を守ること。ただ鶏のいた未来は蛇とは違う未来で、彼の目的は3年後ではなくこのタイミングで蛇に咬まれ、ウィルスに感染することだった。この流れだと彼女は死なず、人類はほぼ死滅するが鶏の未来が守られる。鶏は岬くんに「彼女からなるたけ離れたほうがいいよ、そうすれば君は死なずに済むと思う」とアドバイスしてくれて、目的を果たした鶏は未来へ帰っていく。 ただまあ岬くんは死など何のその、ウィルスに感染してぐったりした彼女に寄り添って生きることにしたのだった。 ● というわけで「熊谷さんの死で人類が守られた未来」と「熊谷さんの生で人類が守られた未来」の潰し合いに巻き込まれるお話だった。後者のほうが現存の人類は大量に死んじゃうんだけど、岬くんとしては熊谷さんの生が一番のニーズだったから、鶏の味方をしたって流れ。最後彼女から離れるんじゃなく、彼女のそばに居続けるという選択をすることこそが「小規模な自殺」だったわけだね。 好みではなかった。岬くんの魅力がない。 2018.01.06 Saturday
| カテゴリ:感想文 |
村上春樹『辺境・近境』
● 一ヶ月くらいにわたりクッソちまちま読んだから印象も曖昧だ。その上、短編集みたいなもんだからサマリも書きづらい。まいりましたな。サマリと感想を書く。 ● これは著者の紀行文で、各地に出かけた際の旅行日誌集の体裁をなしてる。
● 最後の締めの文章にこんなことが書いてあった。 「旅行記が本来すべきことは、小説が本来すべきことと機能的にはほとんど同じ。こんなことがあったんだよ、こんなところにも行ったんだよ、こんな思いをしたんだよ、と誰かに話しても、自分がほんとうにそこで感じたことを、その感情的な水位の違いみたいなものをありありと伝えるのは至難の業。話を聞いてる人に『ああ旅行ってほんとうに楽しいことなんだな。僕も旅行に出たいな』と思わせるのはそれよりもっと難しい。でもそれをなんとかやるのがプロの文章なのです。」 そうだよなー。そして俺はこの人の文章大好きだし、それで心が落ち着いたりしてんだから、本当にこの人はすげーんだよな。 2018.01.05 Friday
| カテゴリ:感想文 |
2017年読んだ漫画
● そういや、今年は結構漫画を読んだなと思って。場所をとるのがイヤだから、どれも借り物だったり電子書籍で読んだりしている。漫画はいちいち感想文書かないから、そのまま忘れていってしまう。それも淋しいので軽く感想を書いていってみる。 Kindleの黄色カバーは、親愛なるルームメイトからの贈り物。大事にしてます。 ●
● これだけサンプルがあれば、緑さんが好きな漫画の傾向がつかめてくる。
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