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ヘルマン・ヘッセ『デミアン』の分析


俺が一番好きな本『デミアン』についての分析を書く。まあ読書感想文みたいなもんよ。


お読みになるなら岩波文庫をおすすめします。上で威圧を放っているのは知り合いからのクリスマスプレゼント。




『デミアン』の分析

 本文はヘルマン・ヘッセ作『デミアン』の分析結果である。引用部分は岩波文庫の実吉捷郎訳に拠った。

 文学はメタファーである。というのは以前書いたとおりだが、『デミアン』は何をメタフォライズしたものなのか。それを考えていく。結論から書くと、『デミアン』が表しているのは作者ヘルマン・ヘッセが自己の哲学を構築していったその過程である。なお哲学というのは「こいねがうものをあきらかにする(=哲学的問題を解き明かす)」ことだ。つまり『デミアン』にはヘッセが自らに提示した哲学的問題と、かれが出した回答が表されている。
 要するに『デミアン』はヘッセの自伝みたいなもんである。

 実際、『デミアン』がヘッセの自伝であるという確固たる根拠はない。ただそう考えると色々と納得できることがある。だから俺はそう考えるのがまあ妥当かなと思う。そういうわけなんで、その「そう考えると納得できる」部分(あるいは「しっくりくる」部分)を書いていく。
 マックス・デミアンはエミール・シンクレールの嘘をよく見破る。少年時代の話は基本的に、1. デミアンがシンクレールに見透かしたようなことを言い、 2. シンクレールがデミアンに惹きつけられていく。というような流れで進んでいく。これはシンクレール的なもの(愚かなもの)がデミアン的なもの(きちんとしたもの)に変化していく様子を表している。ちょっと俺自身を例として書かせてもらうと、俺は中学の初めの頃までは随分とお粗末な脳みそだったんだが、中学半ばあたりから割りとまともにモノを考えるようになってきて、今みたいな感じになった。以前の俺が「シンクレール的なもの」で、以後の俺が「デミアン的なもの」だ。つまりヘッセは自分自身の過去と現在をふたりの人物に分裂させ、過去の自分の成長に沿って物語を書いたのである。シンクレールくんはこんなことを思っているが……「そこに語っているのは、ぼく自身の心の中から出てきたにちがいない声ではないだろうか。すべてを知っている声、すべてをぼくよりもいっそうよく、いっそう明らかに知っている声では?(P.67)」そりゃそうだ。だって同一人物なんだから。
 デミアンとシンクレールのモティーフは書いた通りだが、フランツ・クロオマアは「我々を害するあらゆるもの・問題・攻撃」のメタファーだ。そう考えれば作中でデミアンがクロオマアをやっつけた方法が明示されていない理由も説明できる。まず第一にデミアンがクロオマアを負かすというのはデミアン的なものは問題をスタイリッシュに解決できるということのメタファーだ。メタファーがメタファーをやっつけるのに具体的な手法は必要ない。そういうことだ。そしてその力を目の当たりにすることが、シンクレールに移行のきっかけを与えるという流れである。
 『デミアン』が自伝であるかもしれないという説を補強してくれる事実がもうひとつある。『デミアン』という小説は最初、ヘッセの名前では発表されていない。まさしくエミール・シンクレールの名で発表され、ドイツ内で文学賞を授けられたときも「この小説の作者はシンクレールくんだから」というわけでそれを受け取らなかったそうである。なぜ他の名前で出したのか。それがヘッセという著者が作り上げたフィクションではなく、自伝だからである。
 ちなみにこのことから、俺はほぼ陰謀論レベルの説をひとつ考えている。ひょっとしたら『デミアン』って、ヘッセさんの友達の誰かの話なんじゃね? 俺は『デミアン』を読んだとき、自分自身を分析されているような気分になった。つまり、俺がシンクレール的なものからデミアン的なものに変化した当時の心境がかなり正確に描かれていた。それほど共感を感じる自伝を書いたわりには、かれの他の作品には特に気を引かれなかった、というのがその陰謀論を裏付けるふたつめの理由だ。

 『デミアン』のテーマについての話に移る。さんざん書いたように『デミアン』のテーマは「シンクレール的なものからデミアン的なものへの移行」である。作中で「鳥が卵からむりに出ようとする」と表されているやつだ(このふたつは同義。「卵のなかから卵の外への移行」と書き換えれば分かり易い)。
 そして解き明かすべき問題はもちろん「どうすれば移行できるの?」である。その答えは、いやなんつーか作中でめちゃめちゃ何度も書かれてて明白なんだが(テキトーに数えても9箇所あった)、「自身のところへゆく道を歩く(P.80)」、「自分自身に到達する(P.220)」ことだ。それがどういうことかっていうのは、書くだけならとても簡単だ。視野を広くもつこと。作中の表現を引用するなら「物語や教義を、いっそう自由に、いっそう個性的に、いっそう遊戯的に、いっそう空想的に、観察したり解釈(P.102)」しながら「全世界をあがめる(P.159)」ことである。書くだけなら簡単だけれど、理解できるのは「カインのしるし」を持つ奴だけだ。持たない奴は永遠に分からない。(無論持たないからって悪いわけじゃない。むしろ持ってる方が場合によっては悪いかもしれない。なにせ「わたしたちの道はつらい(P.194)」。)

 本文は以上。まあそんな理由から俺は知り合った奴にはとりあえず『デミアン』を薦めている。食いつくようならお仲間ってわけ。

 おまけとしてこの作品を代表するメタファーであるカインのしるし、そしてアブラクサスについての考察を書く。この考察はピストリウスの章の考察と同時に行う。
 ピストリウスの章の目的は、デミアン的なものに移行しつつある段階のヘッセが行った思考経緯の記述と、そして「カインのしるし」を持つ者が必ず経験すること(=離別)の描写である。ここの思考経緯というのはもちろん「デミアン的なもの」に到達するための経緯であるから、初期にデミアンがしている啓蒙的発言とこの章の内容には共通点が見つかる。例えば「一度考えることをはじめてしまった者には、そんなことだめなんだよ。(P.108)」と「一度、あのもうひとつのことを知ってしまうと、大多数の道をゆくという自由はなくなる。(P.194)」これらはまったく同義。
 ピストリウスとの離別もまた寓意的なシーンだ。非常に辛いシーンである。「心の中の主要な流れが、愛する者からそれようとしているのを、認め(P.211-212)」る瞬間である。この出来事のあとシンクレールは自らに「カインのしるし」を感じている。つまり「しるし」というのは愛する者に背いてでも誠実であれることの証であり、「深い孤独(P.220)」から逃れずに「ぼく自身にいたる道(P.212)」を歩めることの証である。そしてその歩み、あるいは道自体を象徴するものこそが、アブラクサスだ。(まあ便宜的にその「歩み」の目指す先にあるものをアブラクサスとしている部分もあるが、この神の性質である「明暗両要素の甘受」は歩み自体にある。)


 「移行」をテーマに据えるこの作品のまとめとして、シンクレールの移行の段階を章ごとにサマライズしてみる。
第一章「ふたつの世界」: シンクレール的なものである段階。
第二章「カイン」: 移行するきっかけを得るが、「この道ちょっとヤバいんじゃね?」と尻込みしてる段階。
第三章「ぬすびと」: デミアン的なものに惹かれていくが、まだ追っかけをやっている段階。
第四章「ベアトリイチェ」: デミアン的なものに片足突っ込んでいるが、まだとても自立できるレヴェルじゃないから荒れる。
第五章「鳥が卵からむりに出ようとする」: 移行期真っ最中。
第六章「ヤコブのたたかい」: 移行完了。だがデミアン的なものの負の面(孤独)を知る。
第七章「エヴァ夫人」: 同じく移行した仲間たちとの交流。
第八章「終りのはじめ」: デミアン的なものに移行した俺らなら、どんなことがあっても上を見て生きていけるぜ。俺たちの戦いはこれからだ……完! ヘッセ先生の次回作にご期待下さい!


とそんなわけで俺みたく「デミアンやべー」ってなったヒトとは是非喋ってみたいなと緑さんは思っています。


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