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神仏が習合できた理由


神仏習合ってのはこないだの読書感想文に書いたとおり、神道と仏教が融合している状態のことだ。六世紀なかば、百済から日本(当時は倭だけど)に仏教がはいってきたわけだけど、その際、日本人は土着の神道と外来の仏教を融合させてしまう。
いや、それってマジヤバじゃねえ? ふたつの宗教を合体させて受け入れちゃうとかパなくねえ? だってキリスト教とイスラム教に同じことやれっつっても無理くねえ? と俺は思った。ので、神仏が習合できた理由を考えてみた。


結論としては、「神道が求めるものを仏教が持っていたから」、そして「仏教、神道ともに受容的性格が強かったため」だ。
というわけで、「神道は何を求めてたん?」「受容的性格ってなんぞ?」という指針にそって説明していく。

1. 神道は何を求めてたん?
神道が仏教に求めたものは、仏教のもつ救済論だ。

1.1. 救済論って? とくに仏教の救済論ってどんな?
ふつう、宗教の目的は救いをもたらすことにある。とくに創唱宗教(開祖のいる宗教)においては、その開祖さんが独自の救済論をつくり上げることでその宗教を開くというのが一般的だ。日本に伝わってきた仏教、正確にいうと大乗仏教もまた創唱宗教なので例に漏れず、この救済論をもっていた。
上で仏教と大乗仏教を区別したのには理由がある。大乗仏教は紀元前後に仏教から分かれるかたちで興ったものだけど、もともとの仏教とは大きな違いがある。代表的な違いが、「他者の救済」論だ。大乗仏教の救済論を象徴するのがみんな知ってる観音菩薩さん。『観音経』によると、観音菩薩の名を唱える人は誰でも災難から守られるという。他者救済の象徴だ。やがて観音菩薩はアジア全域を通じて崇拝されるまでにいたり、敦煌(中国甘粛省の都市)なんかでは、シルクロードを往来し貿易を営む商人たちの希望で観音像が多数描かれた。旅の無事の祈りを込めたものだ。
仏教はもともと、他者の救済ってかむしろ自己の目覚めという点を強調しているものであった。そもそも「仏教」なる呼び方が本来のものではない。もともと仏教徒は「仏が説いた教え」、「仏教」という呼び方ではなく、「仏法(buddha-dharma)」という言葉を用いていた。仏陀さんが覚って、仏陀によって説かれた真理としての「法」、それを覚れば誰でもブッダ(buddha)、すなわち「目覚めた人」になれる。そういうモノだったのだ。
ところが仏陀さんの死後興った大乗仏教では、他者の救済に重点をおくようになり、いっぽう従来の仏教は「自分だけの幸せを求めるもの」であるとして、小乗仏教という蔑称で呼ばれ、低い地位を与えられてしまったのである。しかしその救済論を日本の神道が求めたのも確かだ。『多度神宮寺伽藍演技幷資財帳』には、「私は重い罪を犯したため神になってしまったんだが、この状態はイヤなので仏教に帰依したい」とのたまう神が存在する。ふつう善なる存在と考えられている神ですら仏教に救済を求めた例がこれである。

2. 受容的性格って?
よその神々を受け入れやすい性格のことだ。
仏教、神道ともに他の宗教を排斥するような攻撃的性格をもっていなかったことは、神仏習合において大きなファクターである。冒頭で「キリスト教とイスラム教じゃ無理くねえ?」と書いたが、これらふたつはまさしく攻撃的宗教だ。これらが伝播した地中海地域、中東、西アジア、東南アジア、南北アメリカなど各地域では、土着宗教は悉く滅ぼされてしまった。いっぽう仏教の伝播した地域、たとえば中国の道教などは滅ぼされずにいるし、我が国においては言わずもがなだ。そもそも、仏教はインドにおいて発生したものである。インドは多神教の世界で、バラモン教やその後に成立するヒンドゥー教が存在している。仏教の仏像には、如来、菩薩、明王、天といった連中があるが、そのうち明王や天に属している仏は、実はもともとインドの神だった。たとえば大黒天はシヴァ神の化身たるマハーカーラがそのものであるし、金剛夜叉明王はヴァジュラヤクシャ神が原型だ。当時からすでに高い受容性でもって土着の神々と融合していた仏教が、日本の神々とも融合していくのは、むしろぶっちゃけ当然の成り行きである。
仏教の受容性について述べたので、次は神道側……日本人の宗教的受容性について述べる。みな知っているとおり、日本人はあらゆるものに神、八百万の神々が存在するという多神教の価値観を持っている。ゆえによそからやってきた仏さんたちのことも、「仏」としてではなく、よその神さんたち、すなわち「蕃神」、「他国神」、「客神」として捉えた。そもそも仏と神には類似している点がある。日本の八百万の神々は、キリスト教やイスラム教における一神教の神とはまるで異なる。日本の神々は、一神教の神ほど絶対的な存在ではないし、世界を創造してのけるような力も持っていない。そして仏もまた一神教の神ほど絶対的な性格はもっておらず、つーかあくまで覚りを開いた「人間」のことだ。こういう類似点にも習合の兆しが見える。


いちおう、神仏習合ってのは具体的にどーゆーことをいうのか書いとく。
たとえば八幡神っていう神がいるが、こいつと仏教の八幡大菩薩は同じだ。神も仏も同じように信仰しているうちに「こいつとこいつって同一人物ってことにしねえ?」みたいな流れができて、「まあそういうことなら仏教の救済論を神道に組み込んじゃっても大丈夫か」みたいな感じで融合していったのである。ちなみに、いまでこそ神社と寺では参拝の仕方に違いがあるが(二拝二拍手一拝と合掌)、神仏習合の時代は神と仏の差なんてなかったんで両方合掌していたようだ。


これは読書感想文ではないけど、先週先々週と読んだ『神も仏も大好きな日本人』、『仏教、本当の教え』、そして頼富本宏さんの『密教とマンダラ』って本を参考にしたのでカテゴリは読書感想文で。最後のやつはなんか喋り方がしち面倒だったのでエッセンスだけ見て閉じちゃったので読書感想文はなしで。

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