2019.02.27 Wednesday
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緑色さんの多目的ブログ みろりえいちぴー(旧) 引っ越し先 みろりHP: https://www.mrrhp.com ★ 2017.05.30 Tuesday
| カテゴリ:みろりHP |
ランニングシューズ新調 Reebok
● 今回のシューズはこれ。 ようやくReebokに戻ってこれたぜ。緑さんはReebok贔屓だ。一番最初に購入したランニングシューズがReebokで親しみがあるのと、どこのショップに行っても品数が少なく、香るマイノリティ風味がイカす。本シューズはポンプシリーズだ。クツ紐がなくって、空気でフィットさせるタイプ。前回のナイキ購入時、俺は「今年のReebokはポンプ・シリーズとかいうよくわからんのを推していてうーんって感じだったんだよなあ」などと抜かしていたがアレは前言撤回させてもらおう。これはとても気に入った。履き心地が滅法良い。 これも前回の話の関連になるけれど、クツのサイズ選びについて。クツのサイズは足のサイズより1.0から1.5cmデカいのをチョイスするのが正解だ。俺の足の実寸は26.0から26.5なので、27.0から28.0くらいのクツを選ぶのが正解。ためし履きしたときつま先に1cmくらいの隙間があっても不安に思っちゃいけないってコトだな。 ● クツを買った俺に親愛なるルームメイトが「みどりん今、人生で一番クツもってるんじゃないの? 写真撮っといたほうがいいんじゃない」と大笑いしていた。確かにその通り。 で、ホントにクツ並べて撮ってたらさらに大笑いされた。解せぬ。
2017.05.20 Saturday
| カテゴリ:みろりHP |
缶バッヂを作る
● 缶バッヂが欲しくなったので作ったぜ。デザインの一部をこちら(鬼雷 昇炎(@kirai_s)さん | Twitter)から借用させて頂いた。 今回用意した材料
● 手順
1. くるみボタン(裏)をニッパーで一部破壊 2. くるみボタン(裏)に安全ピンを結びつける 3. 接着剤でさらに固定 4. くるみボタン(表)にデザインをくっつける 5. デザイン表面をテープでコーティング 6. くるみボタン(表)(裏)を接着 ● 自分が欲しいってのもあるけれど、ちょうど知り合いの誕生日が近かったのでそれにも使おうと思って。 2017.05.13 Saturday
| カテゴリ:感想文 |
ルーシイ・モンゴメリ『赤毛のアン』
● タイトルは知ってるんだけれど、読んだことはねーっていう本、いっぱいあるよな。『赤毛のアン』もそのひとつ。サマリと感想を書く。 ● カナダはプリンスエドワード島。マシュウとマリラのクスバート老兄妹は、人手のために孤児院から男の子を養子にもらうことにした。トシのせいか農作業がツラくなってきたからだ。しかし送り込まれてきたのは赤毛の女の子、アンだった。なんか手違いがあったみたいだ。とっとと送り返そうという話も出たがいい子っぽいし可哀想だから結局は引き取ることにする。まあ男の子はバイトを雇えばいいでしょ! マシュウは寡黙な男だが実際はじめっからアンのことが気に入っており、何があっても彼女の天真爛漫さと想像力を愛した。だが叱るということをまったくしないので、そこはマリラがフォロー。いやまあ性格的に、手放しでホメたりするのが苦手なのだが。アンはなかなかホメっぱなしということをさせてくれない子であった。生粋のトラブルメーカーなのである。想像力が豊かで行動的な奴なんてそんなもんだ。悪口を言ってきた奴には容赦なくキレて石版でぶん殴ったり、茶会で間違って酒を出したり、遊びの最中に屋根から落ちたり。トラブルを起こすたびにマリラは「そろそろやらかす頃だと思ったよ」とため息をつく。だけど近所のリンド夫人が言うように「かあっとのぼせてもすぐにさめる癇癪持ちにはずるいのやうそつきがいない」ものだ。アンはどんなトラブルも持ち前の正直さと想像力で乗り切った。学校でも人気者。成績優秀な男の子に張り合って勉強もめっちゃしたから、クイーン学院にも主席入学してのける。そして何より、自分を引き取り、影に日向に支えてくれたクスバート老兄妹を愛し、その恩に報いるためいつも頑張っていたのだ。マリラも口では厳しいことばっかり言うが、実際アンを心底愛し、こんなに一人の人間を愛することは罪にならないだろうか、と神に問うほどだった。 アンはクイーン学院でとびきり優秀な成績を納め、奨学金をとって進学する権利を得た。が、近頃調子を崩している養父母のことが気がかりだった。そんな矢先、マシュウが心臓発作で亡くなってしまう。アンは進学をやめて地元の学校で教鞭をとることに決めた。そして自分が何よりも好きなこの家でマリラと一緒に暮らしていくのだ。 ● 何この子育て物語。めちゃめちゃ単純にいい話だった。アンがクイーン学院の下宿にいってしまうのを悲しみつつもそれを表に出せないマリラが描写されるとこなんか、あやうくうるっとくるところだったぜ。印象的なくだりを以下に。 ツンデレのマリラおばさん
かあっとのぼせても、すぐさめるかんしゃくもちには、ずるいのや、うそつきがいない
270ページはコメディ
とうとう地の文までコメディに参加してくる
多いわ! マリラの魅力と、アンのコメディ体質に引っ張られる楽しい読書だった。 2017.05.12 Friday
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MMORPとは俺にとって何だったのか
● MMORPとは俺にとって何だったのか - なし perfect Unavailable 昔なじみのオリバがこんな表題でものを書いており、ちょっといいなと思える内容だった。あいつは昔から素敵な文章をつくる。なんか雰囲気がいいんだよな。触発されて俺も書く。ネットゲームのどんなところに惹かれたのか、およびソシャゲにも話を広げていたのでそのへんにも触れつつ。 ● 俺にとってMMORPGとは何だったのか。 初めてのMMORPGはマビノギだ。10代だった。さすがに10歳ではない。きっかけはドットハックというゲームだ。当時俺はとっくに実家を離れ知り合いと同居していた。ドットハックにはゲーム内ゲームとしてネットゲームが登場する。初めてネットゲームという存在を知った。というか、ネットに触れ始めたの自体がその頃だ。俺は自分じゃコンピュータもケータイも持っていなかったからな。そのPCは知り合いのものだった。ゲーム内で人と話すのはかなりおっかなびっくりだった。前述のとおりPCは借り物だったので四六時中やりこむことはできなかったが、俺はたしかに初っ端からあの世界にハマっていたと思う。 どんなところに惹かれたのかっていうと。そりゃあマビノギが非常にナイスなゲームだったから。バランスもよくてオープンワールドで、さらにチャットもできるナイスなゲームだったからだ。まあチャットが楽しかったのは間違いない。でもそれは人恋しさとか、友達が欲しいとか、そういうのじゃなかった。チャットってものが面白かったんだ。なにせ初めてのネットだったんだぜ。すべてが目新しかった。そんなんのめり込むに決まっている。 人生でもっともハマったゲームがネトゲだったというのは、かなり利になることだったと思う。その御蔭で俺はネットの世界を知り、ネットリテラシーを理解し、ぱそこんについて人並みの知識を自然に得られた。ブラインドタッチもできるようになった! 何かを勉強したいときは、楽しくゲームでもしながらやるのが一番身につくだろう? その好例といえる。多くの連中がネトゲでリアルを崩壊させるが、俺についてはそれもなかった。いやぶっちゃけ周囲からみれば崩壊してたかもしんないけれど。だけどもともと社会の正規のレールは外れていたもんな。「両親に寄生」みたいなことは環境的にそもそも不可能だったし、成績等もべつに下がらなかった。逃げる現実もない。ゲームは現実の一部だ。分けて考えたことなどない。 あ、もちろん、リアルとネットを分ける考え方は理解している。俺があまり両者を分けて扱わないというだけだ。リアルでもネットでも性格は変わらないし、ネットだからって暴言を吐くこともない。俺がネットで暴言を吐いていたら、リアルでもおんなじこと言ってると思ってくれたまえ。ネットではリアルの立場を明かさないマイルールを持ってはいるけれど、いやあそれは、ネットはせっかく顔が見えないんだから、そこを楽しまない手はないと思うからだ。ほら、年上だとついつい敬語使っちゃったりするじゃん? それがないから楽しいみたいな感じ。 ……というようなネット特有の人付き合いの楽しさをゲーム内で楽しめるというのが、俺が思うネトゲの良さだろうか。上述したようにネットやPCに慣れ親しめるというのもあるだろう。可愛い子にはネトゲをさせろ。 マビノギは本当に楽しめたぜ。イヤな奴とのけなしあい、晒しスレ、粘着、普通のケンカ、ムカついてマウスを投げたこと、色々あったが今思えばすべてネットリテラシーの教科書みたいなもんだったよな。晒しスレに一度載ったときは興奮したものだ。自然に鎮火してしまったのは残念だった。そしてギルドの仲間たち、PvPクラブ、マゾいスキルトレーニング、たまり場での談笑、そういったものを楽しめるゲームは他にない。MMORPGをやっていて楽しかったことを思い出そうとすると、どうしても他プレイヤーたちのことが浮かんでくる。ソロでダンジョンへ潜りまくっていたこともあるが、周回を終えてたまり場に戻り、「たでーま」「おけーり」と言い合う楽しさがあってこそだったろう。エリンは故郷のひとつのように感じている。ネットで現在付き合いのある仲良しの連中はほとんどが「同郷の出」だ。なんとなく嬉しい。オリバが帰りたいという言葉を使っていたが、俺にとってもエリンは帰る場所だ。ニュアンスが違うかな? ただ俺はMMORPGにハマっていたわけじゃあない。マビノギにハマっていただけだ。現にマビノギを引退したあと他のMMORPGを始めても、すぐにヤメちまった。マビノギを引退したのはアカウントハックのせいだ。俺はゲーム内でリアルマネーを稼いで、それをゲームプレイのために運用していた。(MOMでネクポを稼いでFLCを賄っていたってことね。)アカウントハックを受けてそれが滞っちまったのが引退の因だ。そんなもん課金すりゃいい話だが、俺はしなかった。 ネトゲを今後やる予定はない。ソシャゲもやらない。ネトゲは心底楽しかったけれども、くたびれるところもあった。運営の匙加減ひとつで環境ががらりと変わっちまい、それに振り回されることとかね。そういうのはもういい。それに時間をとられるからなあ。最近は趣味が多いから、ひとつの趣味に没頭することはしない。エリンに帰りたいという気持ちは確かにあるが、エリンは「あのころ」だから楽しかったのだ。あのころには戻れない。だから今を「あのころに戻りたい」と思えるような今にするのだ。 この記事を書いて、俺にとってMMORPGとは何だったのかわかったってものだ。過ぎ去った輝かしい思い出。 2017.05.05 Friday
| カテゴリ:プログラミング |
Python pygameをMacで使うのはヤメとこうぜ
● いやな? 俺が心血を注いで組んだpygameアプリがMacでは動かなかったのだよ。特に咬まれた以下二点について書く。
● mp3を読み込んでくれねー oggに変換しようぜ。俺にはよくわかんないんだけれど、なんでも SDL_mixer(?) だの SMPEG(?) だのをbrewすれば使えるよ? みたいな情報があったんだけど、うまくいかなかったよ。だからoggに変換しようぜ。ひとまずMacフリーソフトで探したところ Video Converter Master Lite というアプリがよい感じだった。ちょっとmp3->oggのボタンが探しづらかったけれどちゃんとあるぜ。 キーボード入力を受け付けてくれねー 諦めようぜ。とりあえず状況から説明するとだな……、Mac上でpygameウィンドウのアプリを起動すると、そのウィンドウアプリが独立した新しいアプリケーションとして認められないみたいなんだよ。すると、そのpygameアプリが独立してキーボード入力を受け取ってくれない。Sublime Textで起動すればSublime上でキー入力したことになっちゃうし、ターミナルで起動すればターミナルでキー入力したことになっちゃう。ただしマウスイベントは受け付けてくれる。これはわからん諦めようぜ。Windows上では依然として動くので、それでお茶を濁す感じでひとつ。ゆえに「DialogFrame」らへんの自作アプリはWindows専用ってことになる。 ● 本題は以上なんだけど。「これまでのゲームってMacでも動くのかな調査」にともなって自作ゲームであるところの「一石二鳥」をちょいと普通にプレイして自己レビューしてみた。なお「一石二鳥」は上述したような厄介な問題はなしできちんと動いたぜ。細かいことを言えばWindowsとMacのデリミタ違いを直す必要があったケド。
典型的な「素人の作るゲームは難易度が高くなりがち説」に引っかかってしまったようだな。そう考えてみるとマゾゲーってのはすげーよな。難易度を上げつつ楽しめるようにデザインされてんだから。ギターといい歌といい絵といいゲームといい、自分で一度やってみると先行物のスゴさがわかっちまうよなあ。 2017.05.03 Wednesday
| カテゴリ:みろりHP |
宗教の素敵なところ
● これは友達の話なんだけど、その友達には親愛なるルームメイトがいるのだよ。そいつはそのルームメイトを尊敬しており、ルームメイトがあすこへ行くよと言えばあすこへ行き、あれして遊ぶよと言われればあれして遊んですごしている。尊敬しているから、無条件に従うというマイルールをもっている。ぶっちゃけ受けた時点では意味不明な指示もあるが、指示に従うことでいいことが起こったりよい気分になったりすることが経験的にわかっているから、無条件に従うことにしている。きっと友達は、この先、その指示でちょっと不都合が起こったとしても、勝手に理屈をつけて「それはいいことだったんだ」ということにしてしまうに違いない。それはもはやひとつの宗教と言っていいだろう。 友だち曰くそれは非常に楽だという。なぜなら行動に責任が伴わないからだ。もし従った結果ヤなことがあったとしても「あの子の為だから仕方ないな」と消化できるし、「これはきっとよいことに繋がっているんだろう」と考える。これは実際有効なライフハックでもある。 その宗教を得て、友達は「向いている・向いていない」という言葉を使えなくなったという。「自分はアウトドアとか向いてないから」とか「パーティとか向いてないんだよねー」とかの「向いている」のことだ。使えなくなった。なぜか? だって親愛なるルームメイトがやることに決めたらなんであれやるからだ。どうせやるなら、向いてるか向いてないかなんて考えることは無意味になる。なんでもウェルカムだ。なんでもやるようになると、意外となんでもできることに気付く。「向いている・向いていない」で行動を縛っていたころに比べて、視野は大きく広がったと言えるだろう。 ああでも、視野については褒めるばかりにはしないぜ。視野が広がったのはあくまで親愛なるルームメイトからの指示の下に限っての話だ。絶対に従う者をつくると、他の者には従わなくていいという許しも発生する。絶対的存在の光は、非絶対者を影の中に落とすものだ。 で、だ。友達は自分の生活が宗教ともいえることに気づき、宗教の素敵なところを見出したという。まあ、まさに上述したことだ。何かに準じるというルールをもつことは、責任の放棄である。責任がなくなるというのは楽なことだ。何かに従うということは、決して思考の狭まりだけを意味するわけじゃない。てかひとりで全部決めてたって、思考は狭まるもんなのだ。宗教は視界を狭めるかもしんないが、それはひとりでいた頃とは別のところに向かって狭まるのだ。そこはおそらく、ひとりでは行けなかった場所だ。 ● これを書くのは、いま「宗教? げぇ」と「宗教、素敵!」の境界にいると感じたからだ。今の俺は、「責任の放棄を続けてたら意志がなくなっちゃうんじゃねえの」という宗教への否定的思いと、「いやでもそれがラクなんだよぉ」という肯定的思いをどちらも心で味わえている。何かの境目にいるときの思いというのは、なかなか貴重だ。すこしずれただけでどちらかにどっぷり浸かり、片方の思考でしか考えられなくなっちゃうからだ。 2017.05.01 Monday
| カテゴリ:アコギ |
アコギ 松任谷由実『ルージュの伝言』
● 今月は新しいストロークを覚えてみた。しっかり3分以内。 結構楽しめる。今月は新しいむつかしー曲を覚えるモチベーションがなかったんで、奏法覚える月ということにしたぜ。アルペジオのインストゥルメンタルがやりたいっつってんのに最近弾き語りばっかしやっていることについてはその…、言い訳のしようもない。ストロークの弾き語りはアルペジオインストに比べて気楽なので手遊びについつい手を出しちゃうんだよな。 しかし歌がマジで至難。ギターと違い、生まれてからずっと扱っている楽器なのにまったく安定しない。 ● ところで先月の『To Be With You』ギターソロ部分の話だけれど。数人のギター弾きに尋ねてみたところ、ストローク・アルペジオを同時に弾くのはどうも無理らしい。なんだー。
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