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緑色さんの多目的ブログ
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ごゆるりとおくつろぎあさーせ。
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アーネスト・ヘミングウェイ『武器よさらば』



古典だから身構えちゃったけれど、めちゃめちゃ読みやすい文章だったぜ。文章さえ読みやすければ、どんだけむつかしい内容を扱ってもらっても構わない。はは。サマリと感想を書く。



第一部
イタリア軍に従軍してるアメリカ人のヘンリー中尉が語り手。前線で負傷兵を運び、同僚たちとは仲良くて、親友もいて、女の子を買ったりして、たまに休暇をとって暮らしていた。親友リナルディの紹介で救急看護奉仕隊のキャサリン・バークリーに出会う。若干クレイジーの気があったが毎夜女の子を買うよりまともな生活だと判断し、遊びの恋をはじめる。とかやってたらヘンリーは迫撃砲にふっとばされて負傷、前線を退きミラノの病院へ入る。

第二部
病院にはキャサリンもちょうどよいタイミングで転属になった。ふたりはヘンリーの療養期間の間に仲をめっぽう深めた。今ではお互いにすっかり参ってしまった。キャサリンの夜勤のたび情事を重ねた。レストランにいき、競馬場へ行き、夏を楽しんだ。怪我が治ると、ヘンリーは前線に戻ることになった。キャサリンは妊娠した。

第三部
前線に戻ると長引く戦いにみんな疲れていた。軽いノリのリナルディもへとへとみたいだ。退却が決まり、軍の指揮系統は乱れ、疑心暗鬼で味方から撃たれたりする。そんななかヘンリーは野戦憲兵にドイツのスパイと誤解されて殺されそうに。とっさの機転で川に飛び込み、彼は脱走兵となる。単独講和。

第四部
ヘンリーはキャサリンと再会。もし軍に見つかればヘンリーは銃殺されてしまう。だがこのふたりは底抜けのポジティブシンキング、ボートでスイスに逃げおおせることにする。イタリア人なら危ういが、ふたりはアメリカ人とイギリス人だから大丈夫だ。

第五部
スイスでゆっくり過ごすふたりだが、やがてキャサリンのお産のときがやってくる。順調には行かず、難産を極めた末にキャサリンは亡くなり、死産になってしまう。



解説とか見ると、人生の不条理とか書かれていたけれど、このお話からそういう解釈を見出すのってよくわからない。すごく妥当な話の進み方をしているもの。こうなって、こうなった、って感じだ。ふ、不条理? 不条理ってなんだ? 世界は妥当な進み方しかしない。このお話の楽しめるところは、ヘンリーとキャサリンの息の合ったポジティブライフだ。
ふたりが仲睦まじく暮らしているさまは見ていて気分が良かった。何が良いって、このふたりの行く先を危ぶませるような出来事は多々起こるが、ふたりの間に悲壮感がまるで生まれないところだよな。それはなぜかと言えば、ふたりの間で完璧な世界を築いているからだと思う。ぼくがいて、きみがいる。それで完結している。小さく完結していることは強さだ。人のせいにしないからだ。人のせいにする奴は、人のおかげじゃないと幸せになれない。人のせいにしない奴は強い。唯一の弱点は、その世界が壊れることだ。ヘンリーとキャサリンの世界は、キャサリンの死で壊れてしまった。それは当然あり得たことだ。世界の完結性の責任の属する先が増えれば増えるほど、世界は壊れやすくなる。ふたりの世界はひとりの世界より壊れやすい。

ヘンリーがキャサリンに恋に落ちるところの描写はなかなかよかったな。
  • 「しばらくね、ダーリン」彼女は潑剌としていて、とても美しかった。こんなに美しい女は見たことがないと思った。(中略)キャサリンを見た瞬間、ぼくは恋に落ちていた。自分の中のすべてがひっくり返っていた。
でも、なんで恋に落ちたのかがわかりづらい。推測にすぎないけど、負傷して弱っているとき、懇ろな女性を久しぶりに見たから、相対的にすげー魅力的に見えたってことかな。

『武器よさらば』っていうタイトルを冠している以上、このお話は戦争に関する主張をメタフォライズするのが作者の意図したところなんだろうとは思う。けれどそこらへんに関する感想はぜんぜん湧かなかった。ふたりの仲睦まじい様子が素敵だった。スイスへの旅路あたりがグッド。好きな人となら、どこへだって行ける。不肖俺もその気持ちは知ってるから、とても共感できた。


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南木佳士『ダイヤモンドダスト』



引越しのゴタで読書を滞らせてたんだけど、ようやっと図書館にいけたぜ。サマリと感想を書く。本書は短編集だから色々あるのだけど、メインの『ダイヤモンドダスト』に焦点を絞っとく。



のどかな別荘地の病院で働く看護士の和夫くん。成績優秀な子どもで一度はお医者さんを志すものの、母親が肝炎で死に、親父さんは沢でコケて頭の骨折って半身不随になった。親父さんを放って医学部に進出することができず、彼は近くの看護学校を出て看護士になった。納得はしているけれど、都市で立派に知的な中流階級の家庭を築いている医者を見ると、羨望を感じた。和夫くんにも妻はいたが、肺腫瘍で死んだ。もう長いこと、親父さんと小学生の息子との生活だ。三十代だけどすっかり老けて、四十代で通じる顔つきになってしまっている。
とうとう親父さんが病院に入ってしまった。息子の送り迎えとか食事の準備とかちょっとタイヘンだが、たまたまカリフォルニアから帰ってきていた幼馴染の悦子さんがそれを手伝ってくれた。久々に会った悦子さんは素敵だが、和夫くんは口説くことかなわない。
親父さんの病室にはマイクさんという腫瘍持ちの宣教師がいた。ふたりは意気投合していたが、マイクの容態悪化に伴い親父さんのほうは退院となった。退院した親父さんは庭に水車を作りはじめた。和夫くんは「なんで水車!?」みたいな感じだったがある日マイクがその理由を話してくれた。昔親父さんが運転手をしていた鉄道が廃止の憂き目にあいかけたとき、客を呼ぶため森の駅々に水車を作ろうと提案したそうだ。それはかなわなかったが、マイクは彼の運転する電車にのって、水車を眺めてみたかったというのだ。親父さんは末期癌のマイクさんに見せるため、水車を作ろうとしていたのである。和夫くんも息子くんも悦子さんもそんな水車づくりを手伝った。けれど水車ができる前にマイクさんは亡くなってしまった。水車はまわったが、素人のつくったものだし、すぐにきしむようになった。ある朝に水車はへし折れた。そのそばで親父さんは亡くなっていた。
悦子さんはその少し前にカリフォルニアに戻っていった。和夫くんはしょぼくれた引き止め言葉をかけたが、悦子さんはきっぱり首を振った。



確かに俺好みの「成長済物語」には該当するのだろうけど、主人公に魅力を感じない。

この物語はいったい何を言わんとしているのだろう…。人の死を前にして冷たくなりつつもどこかダイヤモンドダストのように輝くカタルシスを感じる心を描いているのだろうか? 確かに、生き物の死というか、何かを永遠に失う瞬間っていうのは、自分の心が冷えて、けれど同時に「これでよかったんだ」と胸がすく思いがするよな。くせになる気分であるとも思う。そのえもいわれぬ気分を文章に落とし込みたかったのだとすれば、それは俺も理解できるぜ。モヤッとフワッとする気持ちをうまいこと文章にできたときの感動はそれこそ筆舌に尽くしがたいものね。

俺はそういう気分が結構好きだけれど、きっとこの作者さんはそうではないのかな。人の死とかに相対するたびに、たしかに輝きを感じるものの、それでテンションは上がらずただただ自分が年老いて元気を失うようなパーソナリティをもっているのかもしれない。だとするならば、主人公の和夫くんがしょぼくれているのも納得だ。

そんなところで、このお話は自分なりに理解できたといえるかな。『ダイヤモンドダスト』は、人の死とか何かを永遠に失うときの気分を「寒さ」とか「ダイヤモンドダストのような切ない輝き」でメタフォライズしており、それを受けた自分の姿をメタフォライズしているのが和夫くんの煤けた姿だ。うん、自分では決して実感できないものを想像力で理解できると達成感がある。

文章は綺麗ですごく読みやすかった。


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ルーシイ・モンゴメリ『赤毛のアン』



タイトルは知ってるんだけれど、読んだことはねーっていう本、いっぱいあるよな。『赤毛のアン』もそのひとつ。サマリと感想を書く。



カナダはプリンスエドワード島。マシュウとマリラのクスバート老兄妹は、人手のために孤児院から男の子を養子にもらうことにした。トシのせいか農作業がツラくなってきたからだ。しかし送り込まれてきたのは赤毛の女の子、アンだった。なんか手違いがあったみたいだ。とっとと送り返そうという話も出たがいい子っぽいし可哀想だから結局は引き取ることにする。まあ男の子はバイトを雇えばいいでしょ!
マシュウは寡黙な男だが実際はじめっからアンのことが気に入っており、何があっても彼女の天真爛漫さと想像力を愛した。だが叱るということをまったくしないので、そこはマリラがフォロー。いやまあ性格的に、手放しでホメたりするのが苦手なのだが。アンはなかなかホメっぱなしということをさせてくれない子であった。生粋のトラブルメーカーなのである。想像力が豊かで行動的な奴なんてそんなもんだ。悪口を言ってきた奴には容赦なくキレて石版でぶん殴ったり、茶会で間違って酒を出したり、遊びの最中に屋根から落ちたり。トラブルを起こすたびにマリラは「そろそろやらかす頃だと思ったよ」とため息をつく。だけど近所のリンド夫人が言うように「かあっとのぼせてもすぐにさめる癇癪持ちにはずるいのやうそつきがいない」ものだ。アンはどんなトラブルも持ち前の正直さと想像力で乗り切った。学校でも人気者。成績優秀な男の子に張り合って勉強もめっちゃしたから、クイーン学院にも主席入学してのける。そして何より、自分を引き取り、影に日向に支えてくれたクスバート老兄妹を愛し、その恩に報いるためいつも頑張っていたのだ。マリラも口では厳しいことばっかり言うが、実際アンを心底愛し、こんなに一人の人間を愛することは罪にならないだろうか、と神に問うほどだった。
アンはクイーン学院でとびきり優秀な成績を納め、奨学金をとって進学する権利を得た。が、近頃調子を崩している養父母のことが気がかりだった。そんな矢先、マシュウが心臓発作で亡くなってしまう。アンは進学をやめて地元の学校で教鞭をとることに決めた。そして自分が何よりも好きなこの家でマリラと一緒に暮らしていくのだ。



何この子育て物語。めちゃめちゃ単純にいい話だった。アンがクイーン学院の下宿にいってしまうのを悲しみつつもそれを表に出せないマリラが描写されるとこなんか、あやうくうるっとくるところだったぜ。印象的なくだりを以下に。

ツンデレのマリラおばさん
  • ツンデレなんて俗っぽいワードを使うのが申し訳ないくらいの正道で徹底したツンデレ。それは深い愛と優しい厳しさに満ちた完璧な母親の姿だった。マジでぐっときた。俺は早いうちから親元を離れているからこの程度で済んだが、いまだ親と暮らしている人が読んだらついついカーネーションでも贈りたくなっちまうんじゃないだろうか。
オチ担当のマリラおばさん
  • アンが地下室にひっくり返したロウソクの皿を翌日マリラが発見したり、マシュウおじさんが人生きっての大作戦を試みているパラグラフの「一方そのころ」でマリラがいつも通り家の換気をしていたり、つねに実際的で現実的なマリラおばさんが、文章上のオチ担当になっているのがたまらない。こういう、文章構成ツッコミも存在するんだなあと感心させられちまった。
俺には絶対発想も書くこともできない一節
  • 「なんてまあ、アン、あんたは大きくなったんだろう!」とマリラがアンの成長に驚くシーン。小さかったころと同じくかわいいことは変わらないが、マリラは何かを失った気がして妙に悲しくなり、冬の夕闇の仲にたったひとり座って泣き出してしまう。
  • なんとも言い難い。痛ましいのとも、感動とも違う、うるっとくる気持ちがする。親心か。俺には逆立ちしても書けない。

かあっとのぼせても、すぐさめるかんしゃくもちには、ずるいのや、うそつきがいない
  • サマリにも書いたが、アンを象徴する一節。こういう自分にも通じる文章にはついつい反応しちまう。俺はアンとはまったく違うが、まっすぐなところはひけを取らないぜ。そう、俺たちはずるくもなければうそもない。
子供の自分がされて嬉しかったことを、いつか子供にしてやることを誓うアン
  • 俺も同じことを誓ったので共感。子供には、ついつい偉ぶった教訓を垂れてしまうものだ。でも本当に小さな俺が望んでいたのは、同じ目線で正々堂々と話をしてくれる大人だ。それを忘れないようにしたい。

270ページはコメディ
  • ちょっと全体的に面白すぎて書けない。
基本的にアヴォンリーの連中は毒舌キャラで面白い
  • アン「分別があるってたいしたことにはちがいないけど、あたしはそうなりたいとは思わないわ。リンドの小母さんは、あたしがそんなに分別がつく心配はないって言いなさるけど」
    • 分別がつく心配はないは笑う。

とうとう地の文までコメディに参加してくる
  • 「何かわくわくすることがひらめいたら、すぐそれを出さなきゃいけないわ。ちょっと待って考え直したりしたら、すっかりだめになってしまうわ。小母さんもそんな感じがしたことないの?」いや、リンド夫人にはなかった。
    • いや地の文お前が答えるのかよw
自重しない地の文
  • 「自分のことばかり考えすぎず、どうすれば奥さんがいちばんよろこびなさるかということを考えるんです。」マリラは生まれてはじめてりっぱな、奥行きのある注意を吐いた。
    • 地の文自重しろw

多いわ! マリラの魅力と、アンのコメディ体質に引っ張られる楽しい読書だった。


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仁木英之『まほろばの王たち』



まほろばってタイトルと緑色の表紙に惹かれて読んだ。まほろばってのは俺がガキのころ取り組んでいたプロジェクトの名前なのだよ。サマリと感想を書く。



時は大化の改新。場所は朝廷。蘇我氏に滅ぼされた物部氏の生き残り、広足(ひろたり)ちゃんは料理が上手な女の子。料理が上手っていうけど、それがまた神懸った上手さなんだ。その料理の腕に目をつけた美しい験者、賀茂役小角(おづぬ)さんは彼女を弟子にとる。広足ちゃんとしては、師匠はめっちゃカッコイイ術師だし、山での神様たちに囲まれての生活は長閑で充実だし、とっても満足だ。
が、世間はというと中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼし、各地に大道を敷き、野も山も統一しちまおうと動いており大わらわだ。山の民はそんなこと勝手に推し進められてはたまったもんじゃねーから、山と朝廷の確執は深まるばかり。そんな中、里には人食い鬼が出て、山には神喰いなるバケモンが出やがる。互いに「山の差し金だ!」「朝廷の差し金だ!」と一触即発の雰囲気になってしまう。
そこで立ち上がるは我らが小角師匠である。手始めに神喰いを待ち伏せて正体の見当をつけ、鬼の住処に入って人食い鬼の事情を調べ上げた。事の次第がわかったので朝廷へ行ってみると、賀茂の族長である大蔵さんが中大兄皇子をだまくらかして山と山の民に関する全権を頂戴しようとしているところだった。そう、この大蔵こそは鬼をだまくらかして人を食わせ、神を食って山と里の関係を悪化させ、ドサクサに紛れて力と権力を得ようとしていたクソ野郎なのである。小角師匠は神たちと共に大蔵を取り囲んで撃退した。
だけどぶっちゃけ全てが大蔵さんのせいってわけでもないだろう。そもそも山を手中に収めようなんて中大兄皇子と中臣鎌足が言い出したからこんなことになってるのだ。小角師匠はここぞとばかりに「今後山に手を出さないように」と申し出るが、皇子は「天の下にあるものはすべて国の一部だ」と話をきかねー。平行線のまま事件はとりあえず終結を迎えたとさ。



気に入ったくだりを以下に。

広足ちゃんのお料理シーンが好き。
  • 星灯りを頼りに石を打ち、持ってきた木屑を使って火を起こす。呪を唱えつつ水を清めて米を炊き、そこに鹿と山鳥の干し肉を入れ、最後に葱を刻んで彩りを添えた。
  • 「さて、作るか!」蕨、葛、いたどり、鱈などは一口大に切って醤で和えたものに山椒の葉をあしらう。大鍋に菜種油を満たし、大きな竈にかける。米と麦を石臼でひいたものを様々な形に整えていく。純白の生地が熱い油の中で心地よい音を立てる。
広足に呪禁を教えてくれない小角師匠。
  • 「人にはその身にあった働き場所というのがある。お前の作る食事は素晴らしいものだし、それは私の術になんら劣らない」。
  • 「一つ何かを為すことができれば、全てはその応用でしかないんだよ」。
    • 同感だ。何かひとつに絶対の自信がある奴はどこでも堂々としてるものだ。逆に、どんな分野でも負けず嫌いだなんて奴は、どんな分野でも自信がないってことになるんじゃねーかな? だけどさ、呪禁くらい教えてやれよ! 「一つ何かを為すことができれば」の理論はむしろ、「何か一つをやりきれる奴は何でもきっちりやれる」ってことだと俺は思うんだが。
小角師匠の山好きをばっさり言い換える広足ちゃん。
  • 「山を走り、岩に座り、古き者たちと心を交わすことが喜びだった。だから私は山を敬し、そこで時を過ごすことに決めた。」「俗世がおいやだったんですね。」「平たく言うとそういうことなんだろうな」。
ベジタリアンの小角師匠。
  • 「食えば調子が悪くなるとわかっているものを、何も好んで食うことはない」。
中大兄皇子の資質と、それを評価する中臣鎌足。
  • 「多くの死を見なければならない。敗れし者の死には向き合っていかねばならぬ」。立派だ。天皇たる者に必要な仁慈を生まれながらにして持っている。
    • 中臣鎌足が中大兄皇子の右腕にして一番のファン、っていうのがよかったよな。
結末について。
  • 小角と中大兄皇子の思想戦はドローに終わるかたちだったけど、それを大海人皇子がうまくまとめてくれたな。終始「なんじゃこの小僧は」と思わせてくれる大海人だったけど、最終的に「山も里も見た統治者」という立ち位置に収まるための存在だったんだね。

ストーリーとかキャラに思い入れはまったくできなかったが、文章がやさしくてとても読みやすかった。理解に躓くところが全然なかったね。村上春樹とは違ったやさしさ。まるっこい感じ。村上春樹の清潔な読みやすさとは違う。俺もこういう、文章における自身の色みたいなもんが欲しいところだぜ。


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マリー・セクストン『ロング・ゲイン』



親愛なるルームメイトが貸してくれた。サマリと感想を書く。



コーダ町に住んで兄夫婦とともに小さな店を切り盛りするジャレド・トーマス。ある日コーダ町にタフガイのマット・リチャーズが越してきた。彼はジャレドのタイプど真ん中で、ジャレドはすっかりまいってしまうんだけれど、やんぬるかなマットはストレートだった。ジャレドはその恋をしまい込むことにする。が、しかし良いのか悪いのか、ふたりはめちゃめちゃ気が合うのだった。応援チームは違うけれど同じフットボールファンで馬が合うし、マウンテンバイクで山を一緒にライドすればもう最高。ジャレドのほうはゲイだってことで周囲から孤立してたし、マットは親の指図に逆らって進路を決めたことで家族とも疎遠だし孤立しがちな性格だった。それがお互いソウルメイトに出会っちまったものだからもういっつも一緒に遊んでいた。
ふたりの友情は確かなものだったが、生活に問題がないわけではなかった。ジャレドは家庭教師の腕をかわれて学校からスカウトされるが、心無い人々からゲイであることをあげつらわれるのを恐れて小さな自分の店に閉じこもっていた。マットはジャレドとつるんでいることでホモ疑惑を立てられ、微妙な立場におかれていた。孤独が募る中、マットはジャレドに惹かれていることに気づき、唯一の親友たちは恋人どうしになった。
ある問題が持ち上がった。マットがやたらとジャレドを職場の連中に会わせようとしたり、学校からのスカウトを受けるよう強要してくるようになったのだ。ジャレドは断固拒否の姿勢だ。差別を受けてきたし、もうそんなことは御免だからだ。だがマットは「これからずっと一緒にいるのなら、お前を愛していることを恥じ隠しながら生きるのはまっぴらだ」と説き伏せる。ジャレドは外の世界に立ち向かう意思を固める。
そもそもジャレドは一般的にイメージされるなよなよしたゲイではない。マウンテンバイクに乗らせれば一級の腕前と体力があるし、犯罪者を前に大事な人達をかばうような勇気もある。そういうところが知れ渡ると、あっさりと彼は受け入れられた。マットのどや顔がちょっと気に障るが、ジャレドも彼が正しかったことを納得せざるをえないのだった。



てわけで今回はボーイズラブのお話だった。ボーイズラブの漫画もいくつか読んだことがあるけれど、ハッピーエンド系のボーイズラブは結構好みだ。なんだろうな、俺が男性同士のセックスに興味がないから、いちゃらぶからセックスを濾し取って残った愛情だけが顕著に感じられてジーンとするのかもしらん。ほら女の子のセックスが出て来る話だと、話を頭や心で感じると同時に、ちと表現がアレだけれど下半身でも感じ取っちゃうじゃん。それがないのが気持ちいいのかな。
しかしジャレドはすげえ感じのいい男だったぜ。人当たりが抜群にグッド。自身のゲイをネタにして冗談言ってるときの輝きが半端じゃない。「きみのバチェラパーティを企画してあげるよ。ただしストリッパーは僕の趣味で選ばせてもらうけどね」。山歩きやマウンテンバイクのライドが大好きなのも好感度高いよな。
  • 走り出してしまえば、いやな気分も吹き飛んでいく。だって周りは、僕の愛するものばかりだ……山があって、自転車があって、挑戦すべきトレイルが目の前にある。
『弱虫ペダル』にはまって俺にロードバイクを買わせた親愛なるルームメイトが、いつマウンテンバイクのカタログを持ってくるか戦々恐々だ。ただしジャレドくん、地の文で盛りすぎ!



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Paul Graham『ハッカーと画家』



知り合いが貸してくれた。エッセイだから、サマリというより、楽しめたくだりを個別に書き下す感じでまとめる。



ハッカーは科学者ではなくもの創り。
  • ハッカーとは、優れたプログラマたちが優れたプログラマたちのことを指していう呼び名だ。
  • ハッカーにとってコンピュータは単なる表現の媒体に過ぎない。画家にとって絵の具がそうであるように。
  • 多くの分野ではプロトタイプは本番とは違う材料で作られた。彫像は蝋でモデリングされたあとブロンズに鋳造されたし、石造りの建物はまず木で模型が作られた。油絵が流行したのは、プロトタイプをそのまま完成品にしていけるからだった。ソフトウェアも油絵と同じ。
  • 優れたハッカーは共通して好奇心が強い。好奇心とは、覗いてはいけないと書いてあるドアを覗くことだ。
  • 覗いてはいけないと書いてあるドアとは何か? 世間一般で口にしてはいけないとされていることだ。
  • タブーは時代によって変わるものだから絶対的なものではない。ものごとが意味不明な根拠で禁じられているということはよくある。非難の根拠がレッテルであるときその可能性は高まる。
  • 口にできないことを問い続けることで明晰な思考が生まれる。当然とみなされていることを疑う能力は科学でも大きな利点である。
  • ハッカーたちは基本的に非服従である。なぜなら、権威が幅を利かせる社会は悪いアイデアが勝つ世界につながるからだ。やりたいことが自由にできない社会では、最も効率の良い解ではなく影響力のある人々に支持される解が勝ってしまう。
  • 普通のプログラマは生活のためにコードを書く。素晴らしいハッカーにとってコード書きは楽しみのためにするものである。
  • 素晴らしいハッカーに共通することのひとつは、彼らが自分から望まないことをやらせるのは極めて難しいということだ。

富とお金は違う。本当に欲しいのは富である。
  • 富とお金は違う。お金は作り出せないが富は創り出せる。壊れた車を修理したら、富が創り出されたことになる。
  • もの創りの職人は富が創り出せることに気づきやすい。そして現代の職人がプログラマである。
  • 格差は悪いことではない。格差は富を作り出す人々が富の対価を得ている証だからだ。
  • ジャンボジェットのパイロットは荷物預かり窓口スタッフの40倍の収入を得ているかもしれないが、パイロットが領主で他のスタッフを奴隷にしているわけじゃない。単にパイロットの技能のほうがずっと価値があるだけだ。
  • ある人に他の人の2倍の才能があり、10倍の収入を得ていることを不公平と言う人がいる。だがそうではない。たかだか2倍の技能であっても、それが一人の人間の中に凝縮されているということに大きな意味がある。
  • 確かに技術収入の格差は広がっているかもしれないが、他の多くの格差は縮まっている。我々が避けたいのは絶対的な貧困であり、相対的な貧困ではない。

よいデザインは「人それぞれ」ではない。
  • センスは個人の好みだ、ってのは論争を避けるにはいいが真実ではない。
  • よいデザインには原則がある。たとえば単純であること。単純さを強制されれば、デザイナは本物の問題と向き合わなきゃならない。
  • プログラミング言語に優劣はないというのは真実ではない。プログラミング言語はどれもが、機械語から最もパワフルな言語までの抽象的なスペクトルのどこかに位置する。
  • どの言語に属していても、下の言語の劣悪さは理解できるが上位の言語の性能は理解できない。
  • プログラミング言語で最もパワフルなのはLispである。各言語は進化を重ねているが、だんだんとLispに近づいてきているだけだ。
  • 保守的な人々が礼賛し広くマーケティングされているアイデアは、その業界でのベストプラクティスと呼ばれる。しかし技術の世界で広くマーケティングされているアイデアを採用すれば、単にあなたを平凡するだけだ。

ハッカーを育てる方法は?
  • ハッカーはより「政治的に正しく」ない。プログラムというのは極めて複雑なもので、しかも流動的なものだ。そんな状況では前提を常に疑う習慣が役に立つ。
  • そんな資質を育てることができるかどうかは分からない。しかし少なくともそれを抑えつけないことはできるだろう。



楽しめたよ。この本から感じた印象が以下だ。
1. 自分を優秀だと思っている。
2. 自信があるから、ものごとを明確にすることを恐れない。
3. そういうマイノリティな生き方に親しんでいるから、似た生き方をしてきた人々に同調と仲間意識をもつ。
つまり俺ですね。全体的にこの本は、どんだけ自分が正当か理論立って説明したものだ。通読にあたりずっと気分良くいれたのは、全編に渡ってホメられているように感じたからだ。これは以前『マズローの心理学』読書で感じたものと同じだ。俺が思うに人ってのは、一度は自分ですでに考えたことがあること以外を理解することはできない。本を読んだ初めての理論をその場で理解できたとしたら、それは一度自分の頭で考え直して理解しているんだ。この本にあることのほとんどは俺が慣れ親しんだ世界観に存在する思想だったから、よく理解できて気楽な読書だった。さらに俺は最近プログラムをかじっているからそういう分野の記述もそこそこ理解できた。いやあ楽しめたぜ。
だけど、書いてあることがだいたい俺の頭にあることだったとはいっても、同じような文章が書けるかと言われれば否っぽい。すごく文章がうまいと感じた。たくさん出てくる例え話も理解しやすかったし、さすが業界でたくさん経験されてるだけあって説得力ある具体的な記述にあふれていた。


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G・ガルシア=マルケス『百年の孤独』



いやいやいや、確かに前回俺は「次は読みづらいのを選ぼう」って言ったぜ。でもこんなに苦労する一冊だとは予期していなかったよ。三週間かかった。俺は一週間に一冊くらいのペースを望んでいるんだよ! そんなわけで今回の一冊は、百年にわたるブエンディア一族の歴史をひたすら辿っていくというお話だった。サマリと感想を書く。



あるところにホセ・アルカディオ・ブエンディアくんとウルスラ・イグアランちゃんがいた。ふたりはスゲー仲良しで結婚したんだけど、実はいとこ同士である。親類同士で子供をつくると豚の尻尾のある奇形児ができると脅され続けたウルスラはずっと子供づくりに否定的であった。が、ある日そのことを知人にからかわれたホセ・アルカディオ・ブエンディアはキレて知人をぶっ殺し、その勢いで子供をつくる。それはいいんだけど知人の亡霊がずーっと出続けるのに参ったふたりは故郷を出て新しい村を作ることにする。
そうしてできた村がマコンドだ。ホセ・アルカディオ・ブエンディアは精力的で公平な指導者なのでマコンドはいい感じの村になったが、ある時ジプシーのメルキアデスが来村し、錬金術を伝来させる。ホセ・アルカディオ・ブエンディアはそれにハマっちまって、すっかり手に負えない変人になっちまったので、木に縄で繋がれてしまう。ただメルキアデスはいい人なんだぜ。ブエンディア第一世代はこんな感じ。

第二世代は上のふたりの子どもたちである三人兄弟、妹の、ホセ・アルカディオアウレリャノアマランタだ。長男のホセ・アルカディオはわがままだけど筋骨たくましい男の中の男で、遠くからやってきた母ウルスラのまたいとこレベーカと略奪愛の上結婚する。男らしィ! 次男のアウレリャノは月経も来てない美少女レメディオス・モスコテと結婚した紳士の中の紳士。が、そんな一発ネタでは終わらない男で、生まれつき予知能力があり、大人になったころには大佐になって戦争でご活躍する。長女のアマランタは恐るべき恨みの女で、上述のレベーカとの恋の戦いに破れレベーカを恨み続ける。恨みまくった挙句、まったく関係ない兄貴の嫁レメディオスちゃんが自家中毒で死んだものだから罪悪感にさいなまれちゃう。そんな、まあ悪い子ではないよねって感じの妹キャラだ。ちなみにお兄ちゃんふたりは、それぞれ嫁さんがいるくせに、まったく関係ない占い師ピラル・テルネラさんと子供を作り、その子らが第三世代となる。ちょっと混乱するからそういうことはやめてくれませんかね。

第三世代は三人兄弟妹の長男ホセ・アルカディオの息子アルカディオと次男アウレリャノの息子アウレリャノ・ホセの時代だ。眠たいときにつけたフォルダ名みたいにややこしいネーミングだが、この世代を乗り越えれば割りとわかりやすいので安心してほしい。アルカディオは上述のアウレリャノ大佐にマコンドを任せられるが、ダメなタイプの支配者になっちゃって好き放題する。彼の三人の子供が第四世代となる。嫁さんは母ピラルさんの紹介(意味深)で会ったサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダさん。後者アウレリャノ・ホセについては正直印象が薄い。子供もおらずこの先出てこないので省略しちゃおう!

前述の通りアルカディオとサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダの子どもたちが第四世代。結構ハジけた連中だ。双子のホセ・アルカディオ・セグンドアウレリャノ・セグンド。ホセ・アルカディオ・セグンドのほうはあんましパッとしない奴で、一大事業を試みるものの尻すぼみな結果に終わったりしちゃう。アウレリャノ・セグンドのほうは中々モッてる男で、空前の好景気に後押しされる形でめちゃめちゃ儲けて、女王になるべく育てられたフェルナンダ・デル=カルピオと結婚する。そしてヤバ中のヤバ、長女レメディオス。小町娘の異名をもつこいつは化物レベルの美貌をもった美少女だが、芯からの天真爛漫で、世俗にも男にも興味がなく、いつも屋敷を裸で駆け回っている。男たちはみんなこいつに求婚してはフラれるが、それだけでは済まずみんな謎の死を遂げる。果てには光に包まれて空へと姿を消す謎っぷり。何なんだこいつは。このハジけっぷりにも負けず、上述のフェルナンダさんは屋敷に常識を保ち、子をもうける。屋敷の変人たちはフェルナンダさんを割りと厭うているけれど、この子いなかったら一族終わってるから。

第五世代は上述どおりアウレリャノ・セグンドとフェルナンダの子供たち。ホセ・アルカディオレナータ・レメディオスアマランタ・ウルスラの三人だ。この連中は全世代のイカれ具合を返上するが如くのまともっぷり。長男ホセ・アルカディオは神学校へ行き、長女レナータ・レメディオスは楽器の学校へ行く。末っ子アマランタ・ウルスラは外国からきちんとした旦那を連れてくる。が、やがて帰宅した長男は殺される。次女は友達もめっちゃいる明るい子で、いい男と恋に落ちるが、彼の不幸と同時に唖になって一生喋らなくなってしまう。ただこの二人は子供は作れていて、その子が次の世代となる。末っ子はせっかく連れてきた旦那をほっぽって屋敷の仕事ばかりに熱中し、旦那は国へ帰ってしまう。

上述の子、アウレリャノ・バビロニアが唯一の第六世代である。彼は同じく上述のアマランタ・ウルスラが大好きになっちゃう。彼女のほうも旦那から気持ちが離れつつあるから、お互い好き好き大好きになって寝まくる。やがてアマランタ・ウルスラは妊娠して、豚の尻尾のある子アウレリャノが生まれる。出産と同時にアマランタ・ウルスラは出血で死亡する。赤ん坊のアウレリャノも死んでしまい、蟻に食われることとなる。そのときアウレリャノ・バビロニアはジプシーのメルキアデスが百年前に残した羊皮紙を読む。そこには「この一族の最初のものは樹につながれ、最後のものは蟻のむさぼるところとなる」と書かれていた。アウレリャノ・バビロニアはその羊皮紙が一族のすべてを予言したものだと気づく。そこにはマコンドが暴風によって滅びることが記されており、今がまさにそのときであった。



ビックリするくらい体力を消費する読書だった。
  • 主人公がいない話なので、読者としての視点をどこにおけばいいかわからなかった。ミステリーだったら犯人とトリックの判明、愛憎物語だったら人間関係の決着、といったような「何がどうなったら解決か」という俺が本を読むときの基本的な姿勢が通じなくて疲れた。
  • 似たような名前の主人公が続々登場する上に、描写の時系列がたびたび前後する。ホントどうなってんだこのネーミングセンスは?

とはいえ俺はこういう、現実的世界に不思議成分が小さじ一杯はいったような世界観は割りと好みで、読後感は悪くなかった。ボリス・ヴィアン『日々の泡』もそういうタイプだったな。あれは楽しめた。それに、一人の登場人物に固執せず一族の栄枯盛衰をひたすら記録しました、みたいな作りも面白い。神話とか、叙事詩って感じの雰囲気でよかったよ。読むのはクソくたびれたけどさ。いや本当の話。

ほんで作者はこの作品を通して何が言いたいのってところだけど…、ダメだ何にも浮かばねえ。思いつくとすれば、作者のもつ雑多な思想を各所に散りばめて、自己の思想体系をブエンディア家という枠組みの中で表現するのが目的か? わからん。


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米澤穂信『さよなら妖精』



例によって雑食読書を志すゆえ、おすすめ本を知り合いに聞き込みした。サマリと感想を書く。



高校生の守屋くんはある日たまたまユーゴスラヴィアからやってきたマーヤちゃんに出会う。マーヤちゃんの目的は、バルカン半島の6共和国を統合し7つめの国ユーゴスラヴィアを生み出す一助を担うことだ。そのために各国の文化を学んでいるマーヤちゃんだが、今回日本で面倒をみてくれる予定だった奴が死んじゃってたもんで途方に暮れていたのだ。守屋くんは彼女に宿を紹介してやり、それが縁で二ヶ月の交流が始まる。
ところで守屋くんは何事にも真剣に打ち込めない子で、それがちょいとコンプレックスであった。そんな彼だけど、壮大な夢の実現のため、あらゆることに興味をもち、日本の文化を調査奮戦するマーヤちゃんを見て揺り動かされていく。彼女と同じ目線に立ちたい、別の世界へ飛び立ちたい、との思いで、守屋くんは自分もユーゴスラヴィアへ連れて行ってくれるよう頼む。マーヤちゃんはその懇願を一蹴して、国に帰ってしまった。
一年後、バルカン半島は戦火に包まれた。その頃には、さすがに、観光気分であんなお願いをマーヤちゃんにした自分はアホだったなと守屋くんも悟っていた。だが、今の自分なら彼女のそばにいられるかもしれんと一念発起、守屋くんはユーゴスラヴィアへ渡りマーヤちゃんを紛争から救い出しにゆく決心をする。しかしその決意も虚しく、ユーゴスラヴィアからマーヤちゃんの訃報が届くのだった。



今回は俺たちの好きな「成長済物語」じゃなく、「成長物語」だったわけで、特に気に入ることはなかった。ただし本作は日常系ミステリで、各所に散りばめられたささやかな謎と、推理ショーは楽しめた。ミステリ大好き。

俺としては主人公がマーヤちゃんではなく守屋くんだったことが残念だったな。どちらかといえば共感できるのはマーヤちゃんだろう。彼女が主人公だったら好みの「成長済物語」だったはずなんだが。特に共感できたのがサマリにも書いた、守屋くんに国への同行をお願いされるシーン。俺も似たような経験があり、懐古心をくすぐられたぜ。「私もつれていってくれ」。マーヤちゃんが守屋くんの頓珍漢な覚悟を一蹴したのに比して、俺はそういうときは快諾ばっかりしちゃうタイプ。やっぱり嬉しいからね、そういうことを言われるのは。でもそうやって始まった関係が長続きしたことは一度もない。作者もそういう経験があるのかしらん。



巻末の解説で知ったのだけれど、この作者って『氷菓』を書いた人だったのな。道理で、共通した日常系ミステリの香りが漂っているわけだ。ついでに『春期限定いちごタルト事件』の作者でもあったようだ。ああー、そうそう! あれも、こういう風味だった! とても読みやすく感じの良いミステリだったから、ついつい立ち読みで読破しちまったんだよ。ただこういうあっという間に読み終わってしまう本ばっかり選ぶと読書感想文が嵩んで大変だからな。次は読みづらいのを選ぼう。そういう事情から小難しい本を読まざるをえなくなるあたり、この「本読んだら感想文をかく」ってシステムは成功していると思う。


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貴志祐介『悪の教典』



先回の『吾輩は猫である』が三週間もかかっちゃってくたびれたから、さくっと読めそうなのを選んだ。そしたらめちゃめちゃ楽しめて上下巻を二日で読めちまった。サマリと感想を書く。



蓮見さんはとっても合理的で理性的な奴で、ガキのころから頭がまわり、生活の中で出くわすあらゆる問題をざっくざっくと迅速に片付けることができる高校教師だった。
嫌な教師がいれば殺し、自分より人気の男子がいれば殺し、それが両親にバレたら殺し、仲良しの同級生がレイプされればレイプ犯を拷問して殺し、同僚に横領の濡れ衣をかぶせ、教え子が万引きをしたらすぐさま一緒に謝りにいってやり、毎朝カラスがうるさければ罠を作って殺し、職場の学校でカンニングが起きれば違法な方法で防ぎ、クラスのいじめっ子は精神的に追い詰めて退学にし、モンスターペアレントは殺し、性的欲求がわけば担任クラスの子と寝て、それが同僚にバレそうになったら退職させ、生徒にバレそうになったら土に埋め、それが女子にバレそうになったら屋上から落とし、それも他の女子にバレちゃったから首を折る。
と、かなりうまくやってきたんだがそのへんでさすがに担任クラスのみんなに疑いが広がりマズいことになりそうなんで、かつてないほど大胆な解決法……クラスまるまる皆殺し計画を立てる蓮見さん。如才なく濡れ衣をかぶせる奴も用意し、クラス40人+当直教師の皆殺しに見事成功する。駆けつけた警察にもボロを出さず受け答えし、なんなくクリアー。と思いきやさすがに見逃しがあり、ささいな証拠から犯行が露見しちまう。これは残念。だが冷静な蓮見さんはすぐさま「すべては神の指示だったんですよ…」と狂人の演技を始める。責任能力の欠如を根拠に死刑をまぬかれる手である。弁護士団が結成され、コトは目論見通り進むこととなった。
この成り行きに事件の全貌をしる人々は、もしも釈放なんてされちまったこのサイコ野郎絶対殺しにくるだろ…、と戦々恐々であった。



スゲー読みやすかった! 主人公が理性的で冷静な話っていうのはやっぱり読んでて気分がいい。例の緑セレクションにまた一冊加えることができてホクホクだ。セレクションインの感想文では毎度書いてることだけれど、主人公がブレないというのは語り部として本当に理想的だ。そういう連中は決断が速く、話をサクサク進めてくれる。

同セレクションの『異邦人』なんかでは主人公が処刑されちゃったわけで、すわ今回もハスミンが死んじまうんじゃないかとハラハラしたが、これは杞憂に終わり一安心だ。しかも、生徒サイドもハスミンサイドもどっちも勝ち、って思えるようなラストだったのには感服。

ストーリーについては、これは親愛なるルームメイトの同意も得たことだけれど、俺たちは基本的に「主人公の成長済物語」が好きなんだ。だからこういうストーリー展開は俺としては大歓迎。ただルームメイトはグロがダメなのでコレはムリかな。

ほんで見過ごせないのが、蓮見さんがたった二回だけ「ブレ」を見せるところ。憂実ちゃんを殺さんとするときと美彌ちゃんを殺すときだ。俺はこういうシーンに弱いんだよな〜。キュンときちまう。いや「ブレる人が好き」なのではなくて「ブレない人が、不意に自分のブレを自覚して戸惑う」姿が好きなんだよ。マジョリティに受け入れられづらいハスミンのような奴にとって、自分の内面を理解しつつも受け入れてくるような上記二人のような女性って、グラリときてしまうものなんだよな。美彌ちゃんの場合は「グラリ」のタイミングではまだハスミンの内面に気づいているとは言い難いが、事件生還後に受け入れているような描写がある。ハスミンは心理に精通している為そのことを感じ取っていたのだと理解すれば辻褄が合う。

問題解決の方法に殺害を選ぶことについては、俺は妥当だと思う。それがどんな問題にせよ、「ぶち殺してしまうのが一番いい」のだ。これは愛すべきマックス・デミアンと同意見。


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夏目漱石『吾輩は猫である』



この本はガキの時分トライしたことがあるのだけど、途中でリタイアしたんだよ。全然楽しめなくて。読むのやめちゃったの。だけれど、読書体力がついた今ならば! と今回読んでみたらあっさり読了できちまった。三週間かかっちゃったけれどね。サマリと感想を書く。



無名の猫「吾輩」は野良猫をやっていたが、ひょんなことから教師をやってる珍野苦沙弥さんちに住むことになる。そんなにいい環境でもないけれど、欲をいっても際限がないからこの家を終の棲家と定めることにする。
これがわりと賑やかで、同級生の迷亭や教え子の寒月くん、その友達東風くんがたびたびやってきて喋り倒す。金持ちの金田に嫌がらせを受ける事件があり、泥棒が入って山芋を盗まれる事件があり、隣の学校の生徒に野球ボールを打ち込まれる事件があった。哲人の独仙は警句を語り、同級生鈴木の籐さんは金田の指示で苦沙弥をスパイしにやってくるし、苦沙弥さんの娘たちはいつも騒がしい。
そんな生活を眺めていると、猫と比べて不合理な人間にも愛着が出てきて、面白い経験ができることにも感謝の念がわくものだった。そんなある日のこと吾輩ちゃんは客の残したビールを舐めて酔って水瓶に落ちて死んでしまう。けど、真の太平というのは死ぬことでしか得られないと悟っていたから、安らかに逝ったようだ。まあよかったよね。



いやあ普通に笑い声が出るレベルのギャグ満載の物語だった。なんというかな言い回しが面白いんだよね。語り手である猫はとかく客観的で人間を滑稽に思っているから地の文が自然笑えてきてしまう。苦沙弥先生たちのやり取りもギャグとして笑けちゃう。たとえば暑い日のやりとり
  • 迷亭「丈夫な人でも今日なんかは首を肩の上に載せてるのが退儀でさあ。さればといって載ってる以上はもぎとる訳にも行かずね」
の時点ですでに口元が綻ぶのに、
  • 吾輩「と迷亭君いつになく首の処置に窮している。」
でヤられた。なんなんだろうねこの面白さは。ギャグってわけでも実際ないし、言い回しかね。シュールギャグってやつ? この猫はわりとナルシストなところがあるので、カワイイ猫ちゃんと尊大な言い回しの差に笑うのかもしれん。たとえばこの猫の地の文なんてのはいつでも次のような調子だ。
  • 吾輩「吾輩は両君の談話を聞いたのである。聞きたくて聴いたのではない。聞きたくもないのに談話の方で吾輩の耳の中に飛び込んで来たのである。」
いや笑うだろこんなん。ところでさ、この調子って、どことなく主人に似てないか? 苦沙弥くんもこんなこと言いそうじゃねえ? なんだかんだいって飼い主に似ちゃったんだなあと微笑ましい。

同じく尊大な様子で銭湯を覗きにいった猫内部の荒唐無稽を改行なしでひたすら描写するところもシュールで面白い。このシーンで面白かったのが、銭湯のはしっこにおすわりして目をぱちくりさせながらじーっと大人しくしている猫の姿が目に浮かぶことだ。この小説ってわりとそういうとこ、あって、猫が喋るからといって決してその行動が虚構の猫らしからないのだよ。

苦沙弥先生と猫のコンビでは次の行がまったく好き。
  • 苦沙弥「いやそういう事は全くあるよ。僕は大学の貸費を毎月々々勘定せずに返して、しまいに向から断られた事がある」
  • 吾輩「と自分の恥を人間一般の恥のように公言した。」
君たちは漫才コンビでも組め。

でもやっぱり良いのは迷亭君だろう。たぶん猫も彼が一等気に入りなんじゃないかな。
  • 吾輩「人のうちへ案内も乞わずにつかつか這入り込むところは迷惑のようだが、人のうちへ這入った以上は書生同様取次を務めるから甚だ便利である。」
迷亭君と独仙君のフマジメマジメコンビも良い。碁盤を挟んだシーン。
  • 迷亭「ちょっとこの白をとってくれ玉え」 独仙「それも待つのかい」 迷亭「ついでにその隣りのも引き上げて見てくれ給え」 独仙「ずうずうしいぜ、おい」
  • 迷亭「どうにもいい手がないね。君もう一返打たしてやるから勝手な所へ一目打ち玉え」 独仙「そんな碁があるものか」
  • 迷亭「独仙君いい加減に切り上げようじゃないか」 独仙「まだ片付かない所が二、三箇所ある」 迷亭「あってもいい。大概な所なら、君に進上する」 独仙「そういったって、貰う訳にも行かない」 迷亭「禅学者にも似合わん几帳面な男だ。」
いやあこれは当時の腐女子に囃されたことだろうな。迷x独からのリバース独x迷ってところか?

終盤、総大成のように仲良し組が苦沙弥先生の家で喋り倒すシーンは雰囲気が大好き。
  • 東風「夜通しあるいていたようなものだね」 迷亭「やれやれ長い道中双六だ」 寒月「これからが聞き所ですよ。今までは単に序幕です」 迷亭「まだあるのかい。こいつは容易な事じゃない」 寒月「ここでやめちゃ仏作って魂入れずと一般ですから、もう少し話します」 迷亭「話すのは無論随意さ。聞く事は聞くよ」 寒月「どうです苦沙弥先生も御聞きになっては。もうヴァイオリンは買ってしまいましたよ」 苦沙弥「こん度はヴァイオリンを売るところかい。売るところなんか聞かなくってもいい」 寒月「まだ売るどこじゃありません」 苦沙弥「そんならなお聞かなくてもいい」 寒月「どうも困るな、東風君、君だけだね、熱心に聞いてくれるのは」



この話でも「人は石である」理論の妥当性を感じた。「自分と異なるものには腹が立ちづらい」って理論ね。この話っていじわるな連中とか性根のアレな連中が出てくるのだけど、吾輩ちゃんの地の文からは、それによって気分を害した様子とかが伝わってこないのだよ。それはまったく妥当なことで、吾輩ちゃんにとって人間って全く異なるものであり、異なるものってのは基本的にどうだっていいのだ。俺が人に感じている「石」感よりも強い「石」感を我輩ちゃんはもっていることになる。だから吾輩ちゃんは人間に苛立ったりしないし、客観性を持ち続けられるのだ。それをちゃんと文章で表現できている夏目漱石はやっぱスゴいと思うぜ。



実のところ読みはじめのころは、物語の主軸が見つからなくて読み方を定めるのに難儀した。でもそのうち分かった。これはシットコムのようなものなんだな。共通の登場人物が、状況と場所を変えて面白おかしく喋り倒す、それを楽しむものなんだ。それでFRIENDSでいうところのCentral Perkが珍野宅ってわけだね。そうしてみると迷亭君が蕎麦を食ってるシーンに寒月君がやってくる描写なんて、Central Perkでチャンドラーとジョーイが喋ってるところにフィービィがやってくるようなところを彷彿とさせる。
  • 我輩「ところへ寒月君が、どういう了見かこの暑いのに御苦労にも冬帽を被って両足を埃だらけにしてやってくる。」

蕎麦で思い出したが、ガキの時分のみどりんがわさびを食べられるようになったのって、このシーンのお陰だったんだよ。確かこのシーンのちょっとあとでリタイアしたのだけど、このシーンで迷亭君が蕎麦を食ってるのがとても美味しそうだったもので、そのときから蕎麦にはわさびを入れるようになったんだった。今回の読書では期せずしてこの思い出のシーンに出会えたのも楽しめた。

てか何俺当たり前のように迷x独とか言ってんだ!? ルームメイトの影響だ!



(2017.02.12.追記)
おっと大事なことを書き忘れていた。内容に関することじゃあないのだけど、今回の本は脚注がまとめて巻末についているタイプだったが、これはとても参照しづらく快適な読書に障る。いやこういう形式の本のほうが多いから、これだけ見たら文句も言わないのだけど、『崩れゆく絆』という俺にとって理想的な脚注の本を経験しちゃっているもんで。

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